■仲良く茂るイヌマキとエノキ
国道219号から北を見ると、少し大きな藪のように見える雑木林ですが、近づいて林の中に入ると木々の間から大きなイヌマキが姿を現します。近年の台風で大枝を吹き折られましたが、主幹と同じくらいの大きさで二股状に別れた大枝が横を流れる百太郎溝の方向に大きく張り出し、上に向かう枝も大きく伸びて豊かに濃緑色の葉を茂らせています。そのため、台風による被害を乗り越え、以前にも増して大きく茂っているように見えます。
イヌマキの影に隠れるように、ほぼ同じくらいの大きさのエノキがすっくと立っています。それで年齢を較べたくなりますが、エノキは成長の早い木ですから、成長の遅いイヌマキの方が古い時代からここに生えていた先輩です。このエノキにも台風で受けた傷跡が残っています。
このイヌマキとエノキの間に庚申塔(こうしんとう)が祀られ、「宝永3年3月吉日」とありますから、百太郎溝を錦町一武(いちぶ)まで掘り通した年(一応の完成年)の翌年に当たります。すぐ近くに住む方が、我が家の守り神として庚申塔と樹の回りをきれいに掃き清められておられるので、ごみ一つなく清浄さが保たれていて、神聖で霊験あらたかな感じを受けます。庚申塔は、庚申信仰を具体的な形にしたもので、悪鬼や病魔を払い除くために村の入口に建てられます。庚申信仰では60日に1回巡ってくる庚申の日(かのえさるのひ)に眠らずに徹夜します。これは人の体内にいる三尸(さんし)という虫が、庚申の日の夜に当人が睡眠中に体から抜け出して人間の寿命を司る天帝に日頃の罪過を報告するので、それをさせないためにみんなで集まって夜明かしをするのだといわれます。
人吉球磨地方には約600基の庚申塔があり、全国でもトップクラスの庚申塔密集地です。この地方では「かなえさん」と呼ばれ、多くは本来の庚申信仰の「願いごとを叶え禍いを去る神」として建てられていますが、中には「歯の神様」や「風邪の神様」など特別のご利益が伝えられる庚申塔もあります。
■百太郎溝がはぐくんだ豊かな米どころ
この樹の横を流れている百太郎溝は300年前に作られ、上球磨地方の扇状地の水田化を進めた灌漑用水路です。前述の幸野溝とともに人吉盆地を潤す大動脈ですが、幸野溝が藩の事業として始められたのに対して、百太郎溝は藩の指導や援助を受けずに、農民たちの力だけで作られたことが大きな違いです。そのために正確な記録は乏しく、着工や完成の時期もはっきりしません。しかし、子孫末代まで水不足に苦しまないようにと、特別な指導者もいない中で老若男女が力を合わせ、励まし合いながら掘って掘って掘り抜いた水路だと伝えられています。まさに農民たちの血と汗の結晶といえる文化遺産で、現在正確に測定すると、全長約15.4キロメートル、灌漑面積1487ヘクタールに及びます。百太郎溝の名前は、球磨川から水を取り入れる工事をするとき、老いた母を残し樋門の人柱に立った百太郎の名をとったとの言い伝えが残っています。
このイヌマキから北東に約1キロメートルほどのところに現在の取水口があります。そのすぐ上に改修される前の百太郎溝の取水口があり、「百太郎溝取入口旧樋門」(町指定史跡)として百太郎公園に保存される農業水利事業の貴重な文化遺産です。公園には黄色と橙色の趣のあるレンゲツツジが咲きます。この美しいツツジは百太郎ツツジと呼ばれ、町花に指定されています。この樹齢約400年のイヌマキはまだ若い木だったころに工事開始の様子を眺め、木のすぐ横を多くの老若男女が力を合わせて掘り進む作業を見下ろしたことでしょう。
そして、百太郎溝と幸野溝の二つの用水路によって新田が開発された人吉盆地は豊かな米どころとなり、その一部は加久藤峠(かくとうとうげ)を越えて米が足りない隣国の薩摩藩に輸出され、その米と清冽な球磨の水を原料に焼酎醸造が盛んに行われました。
焼酎の醸造元は28軒ありますが、それぞれが独自のこだわりで焼酎を作っていて、それが地域特性といえます。ですから、一つか二つの銘柄を飲んだだけで球磨焼酎に対する結論を出さず、飲み較べ・味わい較べることが大切です。かつては生産した全量を地域内で消費していた焼酎飲み天国でしたが、世界の原産地呼称資格を得て、地域外にも出荷するようになった現在では、球磨焼酎の名で世界的なブランドになってきています。
※原産地呼称とは
ボルドー地方(仏)のワインやコニャック地方(仏)のブランデー、スコットランド地方(英)のスコッチウイスキーのように、高い品質、評判などが原産地の地理的条件に起因すると世界貿易機関の加盟国が認めるもの。日本では、国税庁長官が球磨焼酎、壱岐焼酎、薩摩焼酎、琉球泡盛、白山清酒を指定しています。
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