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  老樹名木詳細
 
城泉寺の槇(じょうせんじのまき)


■悠久の時を重ね、多くの文化財とともに佇むコウヤマキ
 湯前駅の南およそ3キロメートルの花立山の山麓にある城泉寺。その境内の北側にある境内の森の中にコウヤマキの巨樹がひときわ高くそびえています。主幹は地上6メートルで南北に分かれ、両方ともすーっと空に向かって伸びています。幹囲は3.6メートルで、球磨郡あさぎり町にある白髪神社のコウヤマキ(幹囲4.6メートル)と多良木町にある大師のコウヤマキ(幹囲4メートル)には及びませんが、成長の遅い樹が800年もかけて育った年輪の重さを感じる巨樹です。
 樹を見上げると、ムササビの巣をふさいだ跡がいくつも見えます。ここはムササビには住み心地の良い森で、高いところが好きなムササビが樹幹にできた穴を見つけて住み着くからです。ムササビにとっては迷惑かもしれませんが、樹を守るために巣穴になりそうな場所に蓋をして、別の樹に住んでもらうようにしているのです。
 城泉寺は、鎌倉時代にこの地方を支配していた豪族・久米氏が、極楽往生を祈願して貞応年間(1222~1224)に建立したといわれる寺で、県内最古の木造建築物の一つです。明治初期に行われた廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などの影響で住職不在になりましたが、大正5年(1915)に仏像が国の重要文化財に指定されたときに、近くの明導寺(みょうどうじ)が管理することになりました。城泉寺の遺跡で現在残っている建物は阿弥陀堂だけです。この寺の本来の名称は「浄心寺」でしたが、国指定のときに誤って記録されて「城泉寺」と呼ばれるようになったそうです。
 城泉寺は鎌倉文化を今に伝える古寺です。九州には三つの代表的な仏教遺跡群があるといわれ、それは福岡県の観世音寺一帯・大分県の国東半島・熊本県の球磨地方です。そして、球磨地方の中でとくに目立った存在がこの城泉寺なのです。ここの阿弥陀堂には中央に阿弥陀如来像、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が安置されています。三尊とも桧材の寄木造りで国指定の重要文化財です。観音像には墨書があって寛喜元年(1229)の作であることがわかります。
 阿弥陀堂の建物も国指定の重要文化財で、屋根は寄棟造りの茅葺き、柱は総円柱で大きな屋根を支える軒部の構造も力強く、装飾的な要素はなくて鎌倉中期の特徴をよく現しています。境内には、九重と七重(現在は四重)の石塔があり、もとはここにあって現在は八代市に移されている十三重の石塔ともに国指定重要文化財です。いずれも見事な遍滅法で割り出された美しい調和を示す石塔です。これらの文化財は毎年秋の彼岸の9月20日には公開されます。城泉寺は球磨地方の歴史巡りでは必ず回る寺ですが、仏教遺跡だけでなく、このコウヤマキも歴史ある美しい樹なのでちょっと森の中に入って対面してください。多くの人が訪れる観光地であるにもかかわらず、ムササビが住んで困るほど自然豊かな森に囲まれた寺は大変珍しいといえます。
 城泉寺から歩いて約5分の宝陀寺(ほうだじ)に木造地蔵菩薩立像があります。また、そこから少し離れたところに茅葺きの大師堂があり、中に安置された大師坐像は県の重要文化財に指定されています。
 近くの幸野溝に沿って下ると「樹齢300年の多良木菅原神社の石櫧群」、さらに下ると「白髪神社の高野槇」があります。さらに、車で1時間ちょっとかかる槻木(つきぎ)地区に、県指定天然記念物の「樹齢600年の大師の高野槇」があります。
 また、湯前駅から歩いてすぐのところに湯前まんが美術館があり、湯前町出身の政治風刺漫画家の那須良輔の作品が収蔵・展示されています。


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