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  老樹名木詳細
 
大師の高野槇(たいしのこうやまき)


■自然の中でゆったりと生きてきたコウヤマキ
 多良木町の中心から南に約22キロメートル、人吉盆地の南にそびえる白髪岳や黒原山(くろばるやま)の東にある槻木峠(つきぎとうげ)を越え、槻木川沿いの山道を下って約1時間で下槻木の集落に着きます。ここは宮崎市を流れる大淀川の源流となる地域で、分水嶺よりはるか南までが熊本県です。県境などの大きな境界線は分水嶺と一致するのが普通ですが、ここ人吉盆地の南では境界線が分水嶺の向こう(宮崎県)側を通っているところが多いのが特徴で、長い歴史を反映した結果とはいえ興味深い現象です。
 下槻木の本村のすこし先に、大師(おだいし)という小字(こあざ)の集落があり、その左の小高いところに大師堂があります。大師堂への道は幹囲3、4メートルの老杉が立ち並ぶ苔むした石段で、それを上り詰めた左側にコウヤマキの老樹が立っています。
 県内稀に見る大木と古くから知られた名木ですが、幹囲4メートルで赤茶けた樹肌の存在感は圧倒的で、樹高は30メートルを超えていて頂を見上げると首が痛くなるほどの威容です。根元に空洞がありますが樹勢盛んで、豊かな自然の中で地域の人々に大切にされてきたことがわかります。長い距離を長時間かけて辿りついた道程と、途中に眺めてきた周囲の山々の景色で心の準備ができたのか、この樹から受ける神聖な印象とともに境内の樹木たちが醸し出している濃厚な山の霊気を強く感じます。

■弘法大師伝説と槻木(つきぎ)の歴史
 この樹の少し奥に大師堂があります。応永15年(1412)の創建なので、このコウヤマキも創建のころに植えられたと考えられています。現在の社殿は、平成18年(2006)に再建された銅板葺きの見事なものです。大師堂の本尊はヒノキの一木(いちぼく)造りの弘法大師座像で、台座に応永19年(1412)の墨書銘があり、県の重要文化財に指定されています。
 この大師堂は、弘法大師が八十八箇所のお寺を作るために九州各地を巡られ、40番目に造られたものと伝えられています。現代でこそ多良木町の中心から車で1時間ほどで到着できますが、お大師様の時代に槻木まで山を越え谷を渡って来るのは大変なことだったでしょう。それを実現した脚力と精神力にはほとほと感心します。
 下槻木では旧暦の3月21日と8月21日にお大師さん祭りが行われ、太鼓踊りが披露されています。
 大師堂の近くに四所(ししょ)神社があります。この神社の祭神は、真言宗の総本山である高野山の祭神、丹生都比売(にうつひめ)で、高野山信仰が南端のこの地まで根付いていたことがうかがえます。真言宗を保護した相良氏は、島津氏との領土争いの最前線として、ここ槻木で領土の安全と敵国降伏の祈願をして南の守りを固めたと伝えられます。そのため弘法大師伝説が、この地に根強く残ったといわれます。この神社には、年に一度、11月3日の大祭の日に見ることができる県の重要文化財や町の有形文化財に指定された神面が祀られていて、県内最古のものの1つです。
 また、大師堂境内のコウヤマキの隣りには、満月のように真ん丸い直径1.4メートルほどの大きな石が安置されています。平成18年7月の梅雨時の豪雨で林道の斜面が崩れ、その土砂の中から発見されました。隕石か、風化や浸食でできた自然石なのか、謎の石として大きな話題になりました。
 コウヤマキから30メートルくらいの場所に推定樹齢600年のイチョウの老樹があります。同じ頃に植えられたと考えられていますが、これは町の天然記念物に指定されています。また、町の天然記念物の「槻木の石櫧」も近くにあります。
 お大師様関連の場所は、槻木以外にも球磨郡湯前町(ゆのまえまち)に茅葺きの大師堂があり、安置されている大師坐像は県の重要文化財に指定されています。そのそばに姿の良い立派なクヌギがあります。そのほか、葦北(あしきた)郡芦北町(あしきたまち)佐敷(さしき)、阿蘇郡小国町(おぐにまち)杖立(つえたて)、阿蘇郡南小国町満願寺、上益城(かみましき)郡山都町(やまとちょう)柚木(ゆのき)などに弘法大師伝説が残されています。


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