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  老樹名木詳細
 
宮園の銀杏(みやぞののいちょう)


■イチョウにまつわる言い伝え
 五木村の中心・頭地(とうじ)から北に7キロメートルほど川辺川左岸の国道を遡ると、五家荘の山々から深いV字谷を刻みながら流れて来た川の谷が、少し広く開けたところに宮園の集落があります。穏やかに流れる清流を前に田園風景が続く農村の、静かな佇まいの心和む景色です。ここから右岸の平野(ひらの)に渡る橋の少し手前から右の道を入ると、すぐ目の前に高くそびえる巨樹があります。このイチョウは雄株で、もともとは雌雄揃って2株あったものですが、昭和40年の台風で雌株が倒れて伐採され、雄株だけになりました。
 樹勢は盛んで、枝張りは四方に25メートル以上も伸びて豊かな緑陰を作っています。秋には樹全体が黄金色に輝くように黄葉して周辺一帯に明るく照り映えます。枝のところどころから乳房のような気根が垂れ下がっています。
 このイチョウは文禄5年(1596)に、朝鮮出兵から帰還した相良家20代の長毎(ながつね)公が植えさせたものと伝えられています。この樹の周囲にはたくさんの民家がありますが、大風などで折れた枝は不思議なことに民家には当たらず、道路など空いている場所に落ちるそうです。その落ちた枝を商売として販売したら怪我をしたとか、乳房状の気根を切り取って煙草入れを作った人が原因不明の病気でなくなったとか、このイチョウを傷つけると不吉なことが起こると言われています。
 以前は、このイチョウの樹の下で春には豊作を祈り、秋には豊かな収穫を喜ぶ祭が行われていました。現在は11月に「イチョウ祭」が開催され、黄葉が美しく色づくとライトアップされます。近くから黄金色に色づいて高くそびえる樹の大きさを実感しながら眺めるのも良いでしょうし、対岸の小高いところから暗い中に浮かび上がる神秘的な大イチョウの姿を眺めるのも一見の価値があります。

■鎮守の森のブッポウソウとハナコギセル
 この樹のすぐ隣りにある釈迦堂の横に幹囲6メートルを越えるイチイガシの巨樹があります。また、お堂の北側にある宮園阿蘇神社の境内には、幹囲5メートルを超えるイチイガシを筆頭に9本のイチイガシの巨木が群生しています。幹囲3.8メートルのタブノキの大樹もあり、社叢はまさに巨木ずらりの鎮守の森です。
 この社叢には毎年夏になると渡り鳥のブッポウソウが南の国から飛来していました。ハトくらいの大きさの濃い緑や赤の派手な装いをした美しい鳥で、ゲェッゲェッゲゲゲゲゲと甲高い声をあげ、その声が静かな山々にこだまして山里の住人に夏の訪れを告げます。ブッポウソウというと、「仏・法・僧(ぶっ・ぽう・そう)」と鳴く鳥と思っている人が多いのですが、それはコノハズクという小形のフクロウ類で、全く別の種類です。コノハズクは夜に鳴く色彩も地味で目立たない鳥なので、それが鳴く森に昼間派手に出現した鳥を鳴き声の主だと考えてブッポウソウの名がつけられました。それで、コノハズクの方を「声のブッポウソウ」と呼んだりします。「姿のブッポウソウ」、つまり動物学的に本物のブッポウソウは、夏に日本で繁殖しますがその場所は限られているので天然記念物に指定されたりしています。地球温暖化のせいでしょうか理由はわかりませんが、ブッポウソウはここ10年ほどこの地に飛来しなくなっています。再びこの森に帰ってきてくれることを願っています。熊本県の保護上重要な野生生物リストである「レッドリストくまもと2004」で、ブッポウソウは絶滅危惧種、コノハズクは準絶滅危惧種に指定されています。
 また、この森にはキセルガイ科の陸産貝類のハナコギセルが生息しています。巻貝の仲間は右巻きが普通なのに、このキセルガイの仲間はすべて左巻きです。ハナコギセルは老樹の幹にできた空洞や根元近くの土壌の中に生息しています。熊本県では五木村・水上村・山江村・球磨村の限られたところだけで分布が確認され、熊本県では絶滅危惧種とされている貝です。この周辺は心和む静かな、平凡な農村風景のように見えますが、このほかにも貴重な動植物がいろいろと確認されている場所なのです。そして、ブッポウソウが南に向かって旅立つころに「宮園の銀杏」が色づき始めます。

■生きている化石、イチョウ
 イチョウは生きている化石といわれます。原始のイチョウの仲間は4億年前の古生代末期に地球上に現れ、中生代のジュラ紀(2億3千万年前から1億4千万年前)には世界的に繁茂した裸子植物です。しかし、7千万年ほど前に急に衰え、何種類もあったイチョウの仲間のうち、たった1種だけ東アジアに生き残ったのがイチョウです。
 イチョウの化石は日本でも発見されているので、現在我が国で見られるイチョウは、もともと日本に自生していたものが生き延びてきたとか、稲作文化の渡来と一緒に渡ってきた可能性も考えられます。しかし、食用などいろいろと役に立ち目立つ植物なのに、古事記・日本書紀・源氏物語などに記述がないことから、鎌倉時代から室町時代に中国大陸から渡来した、それも留学僧によって持ち帰られたのだろうと考えられています。
 イチョウは普通の樹木とは大きく異なる点が多い植物です。眺めただけで誰でもわかる大きな特徴は、独特な葉の形と、秋が深まったころに輝くように黄金色に黄葉する独特の姿でしょう。しかし、イチョウが他の草木と根本的に異なる点は、花が咲いて実が稔るまでの過程です。
 花は4月から5月に咲きますが、雌雄異株(しゆういしゅ)ですから雌花と雄花は別の木に咲きます。雄花の花粉は風によって雌花まで運ばれ、露出している胚珠(受精して種子になる部分)に付着して受粉が完了します。しかし、花粉はすぐに受精しないで胚珠の中に花粉管を伸ばすだけで止まっています。それが9月になってから繊毛(せんもう)のある精子(精虫)をつくり、それが卵子(卵細胞)と合体してやっと受精が完了します。その後、「ぎんなん」の固い殻(内種皮)と肉質で臭気の強い外種皮が熟して種子が完成するのです。
 イチョウの精子発見は明治29年(1896)で、発見者は日本人の平瀬作五郎でした。明治維新後に西洋に追いつく努力を始めてすぐの日本人が世界的な大発見をしたと世界を驚かせ、日本人も大喜びしたことで有名です。というのも、コケやシダなど下等な植物は精子ができて受精しますが、普通の草木(被子植物という)は精子を作らないで雄の精核が卵細胞の核と合体、つまり受精します。ですから、この発見はイチョウが両者を繋ぐ植物だという重要な証拠になったのです。その後、ソテツにも精子が発見され、シダ植物から裸子植物を経て被子植物に進化した道筋をより強固に示すことになりましたが、ソテツの精子を発見したのも日本人の池野成一郎でした。
 近くには、7キロメートル下流の頭地の集落が移転した跡地に「田口の銀杏」が残っており、移転にそなえて大きな枝を切ったり、根まわしをしたりなど養生をしているところです。
 対岸の平野(ひらの)の集落は主な部分が台地の上にありますが、平野薬師堂の前に五木出身の力士、熊ヶ嶽猪之介(くまがたけいのすけ、本名 黒柳松次郎)の墓があります。弘化4年(1847)に入幕、17場所にわたって幕内力士として活躍し、嘉永6年(1853)に引退しました。その後帰郷し、余生を後進の育成に費やしました。その墓には、現在も出世祈願に多くの人が訪れます。また、地元では小学生が参加する「熊ヶ嶽杯わんぱく相撲大会」が開かれています。


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