■子どもたちの格好の遊び相手だった老樹
八代城の北にある代陽(たいよう)小学校に隣接する浅井神社の境内、といっても運動場と敷地が繋がっているので小学校の正門を入ると校舎の左側に、幹太くこんもりと茂ったクスノキの老樹が高くそびえています。
八代郡史(昭和2年:1927)には「周囲36尺(約11メートル)梢幹(樹高)百尺(約30メートル)を過ぎ、実に一千年を経る老樹なり」と記されていますから、最近の測定数値から現在も成長を続けていることがわかります。根元の踏み固めが原因で樹勢が衰え上部の大枝が枯死して、樹高が23メートルと記録された時期もありました。しかし、平成4年から5年にかけて、小学校の校区の人たちの再生支援活動などによって、根元の耕起など懸命の養生が行われた結果、現在では生気を取り戻しています。その後は台風で枝が吹き折られることはあっても、青々とした葉を茂らせて元気な姿を見せています。
古くに落雷にあった傷痕といわれていますが、根元に二つの大きな割れ目があって中は畳二畳ほどの大きな空洞になっています。かなり高さのある空洞なので、以前は子どもたちが自由に出入りし、内側の壁をよじ登ったりもしていました。空洞にはコウモリが住み着いていて少し怖かったけれども、中に入って遊んだとの話も聞きました。代陽小学校に通った人ならば、誰でも一度はこの樹でかくれんぼをして遊んだといえるほど、子どもたちの生活と密着していました。また、校内写生大会でも多くの子どもたちがこの樹を描くなど、卒業生の思い出の中で大きな位置を占めています。
この樹で遊んだ思い出のある卒業生が、近年久し振りに学校を訪れてびっくりしたことがあるそうです。というのは、樹の割れ目が昔に較べて小さくなっていたというのです。自分が大きく成長したからではなく、樹の大きさは子ども時代と同じように大きく感じたけれども割れ目の大きさは近くで遊んでいた子どもの体が通れない狭さになっていたというのです。ということは、樹勢盛んになった結果、樹皮が割れ目に向かって伸びてきて隙間を覆ってきたのです。昭和34年か35年ごろ、この空洞に住み着いていた人の失火で空洞が焼ける事件もありましたが、それらの傷害を乗り越えて、現在は傷痕を自ら埋めるほどの活力ある状態に回復しているということです。
■海に通じた神社
このクスノキがある浅井神社は、海の守護神である八大竜王を祀った社で、創建は和銅3年(710)と伝えられます。妙見(みょうけん)信仰に厚い百済(くだら)の王族が寄港したとき、船頭たちが船霊八大竜王を清泉のほとりに祀ったのが起源だといわれています。ここは古代の港「浅井の津」で、近世になって小西行長が球磨川の中州に麦島城を築いて徳淵の津(とくぶちのつ)に港を作るまで、八代海における交通の要衝として栄えたところです。
関ケ原の戦(慶長5年:1600)の後、小西行長の所領も加えて加藤清正が肥後一国を統治することになりました。行長が築いた麦島城が元和5年(1619)の大地震で崩壊したので廃城にし、城代だった加藤右馬允(うまのじょう)正方(まさかた)が中心になって現在地の松江に八代城を築き、元和8年にほぼ完成させました。そのとき、この社の位置が八代城の東北つまり鬼門の方位にあたるので、正方は元和9年(1623)に社殿を再興し鬼門の鎮護神として祀りました。それより後、この神社は代々の城主や住民の崇敬を集め、江戸時代中期以降は妙見宮の末社となりましたが、それも妙見様がこの港に上陸したとの言い伝えがあるからです。
江戸時代まではこのあたりが海岸線で、このクスノキは港に入ってくる船に進路を示す目印となる樹でした。浅井神社は江戸時代までは八王社といわれていましたが、明治期に今の浅井神社と改められました。しかし、八代の人たちは、今も「八王(やつおう)さん」と呼び、神社のご神木のクスノキは「八王さんのクスノキ」として親しまれています。
境内のクスノキのすぐ横には、「八つ縄の池(塩の井)」があります。これは清水が途絶えることなく湧き出していた井戸で、航海のための給水源であった清泉の跡です。かつては松浜軒(しょうひんけん)の北の入り江から潮が通じていましたが、江戸期にふさがったといわれています。現存するこの井戸には階段を降りて水を汲めるだけの広さがあり、潮の干満に合わせて水位が変動していたそうです。
■妙見祭を心待ちにする子どもたち
有名な八代の妙見祭は11月23日に行われますが、昔は11月18日に行われていました。当時は、祭の日には学校は早めに授業を切り上げ、子どもたちはしっぽの赤い毛に触れると願い事がかなうという亀蛇(きだ:八代では「がめ」という)を追いかけ回すのを楽しみにしていました。浅井神社の11月15日の大祭には、妙見祭礼に奉納する神馬(しんめ)と獅子が八つ縄の池のところで御祓いを受けるのが恒例で、いよいよ獅子舞が舞われるときになると、祭りを前に子どもたちの胸は高まり、興奮さめやらなかったそうです。
現在、代陽小学校では毎年3年生の総合的な学習の時間に妙見祭を学んでいますが、妙見祭実行委員会の人たちの出前授業も行われています。子どもたちは地元に伝わる大きな祭りの由来や伝統、また神幸行列の亀蛇・獅子舞・笹鉢・飾り馬などの知識を、実際に動かしている人から学んで理解を深めています。
また、境内には万延元年(1860)に建立された庚申碑があり、昭和40年5月18日に八代市の文化財に指定されました。
このクスノキは、このように八代市の重要な歴史文化遺産が集中する場所で、明治13年(1880)に代陽小学校がここに開校して以来、子どもたちの元気な声に包まれながら、八代の変遷を見守り続けてきました。
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