■仙人が宿るような不思議な樹形
道路脇の斜面に力強く立っているスギの巨樹です。道路いっぱいに覆い被さるように茂っているので、材木運搬のトラックが通るのに邪魔になる範囲の枝を切ったのか、道路から見ると下枝がえぐられたように欠けています。空襲で日本中が焼け野原になり、住む家を建てる木材が絶対的に不足していた戦後から復興期にかけて、できるだけ多くの木材を次々に供給しなければならない、そのことだけに目が向いていた時代だったとはいえ残念なことです。
根本から伐採されて木材として利用されなかっただけでも幸いだったのかもしれません。それは、この巨杉が拝所(おがみしょ)という地域の人々にとって神聖な場所の樹だったからでしょう。しかし、広い道路ができて交通への障害が現実の問題として起こると、障害物を取り除いて生産性向上を目指す軽い気持ちで下枝を切り落としたのだと思われます。とはいえ、樹形が崩れているのはその部分だけで、全体として雄大な釣鐘型の樹形は今も保たれています。
樹の後側(道路と反対側)に回って見ると、根本から5メートルくらいの高さまで大きな空洞ができていて、蜂が巣を作ったときに焼いて退治した痕も残っています。空洞の裂け目が上部に広がってきているようなので、少し心配ですが、葉は元気によく茂っているので現在は注意深く見守っているそうです。
大きく立つ主幹は、細い木を何本も束ね、それが癒着して大きくなったように表面が波打っています。樹肌には隆起した瘤がぼこぼことできていますが、この瘤はウイルスなどによる病気と闘った古傷だそうです。主幹から別れた大枝からは、たくさんの枝がうねるように伸びています。道路にはみ出て交通の障害になると切り落とされた下枝の切り口は、傷痕が大きなドーナツをくっつけたような瘤になって盛り上がっています。スギの名の由来は「大和本草」(やまとほんぞう:江戸時代に出版された、薬用植物を中心に日本の動植鉱物についてまとめた本草書)に、真直ぐ上に伸びる木だから直木(すぐき)の意味と説明されていますが、その説を疑いたくなるような樹形をしています。そのように真直ぐに成長したスギではありませんが、遠くから眺めたり、真下に行って見上げたり、周囲をぐるりと回りながら見たりすると、場所ごとに異なった表情を見せてくれます。
■拝所の名の由来
梵字が刻まれた板碑
この樹のすぐ横に作られた石段を登り、道路よりも少し高くなったなだらかな斜面の踏み分け道を進んだ、標高608.3メートルの三角点周辺が拝所(おがみしょ)です。拝所の名は、阿蘇家の家臣が代々阿蘇大明神を遥拝する大切な場所だったことに由来します。古い板碑が立っていますが、中央に大きく彫られた火を表わす梵字(ぼんじ)と、阿蘇大明神 寛文10年(1670年)庚戌(かのえいぬ)2月末吉 大川部落 甲斐市良兵衛と小さく刻まれた文字があります。ここから望む阿蘇五岳(あそごがく:根子岳・高岳・中岳・杵島往生岳・烏帽子岳などの中央火口丘群)、とくに火を噴く中岳の火口が阿蘇大明神のシンボルなのです。阿蘇家は火山活動の状況を朝廷に詳しく報告し、神のお告げを受け取り伝達する者として大きな力を得ていたのです。
拝所の周辺は戦後の拡大造林政策でスギなどの植林が大々的に行われ、戦前から植えられたと思われる樹齢の木もあって、現在は阿蘇五岳も木の間越しに見える程度になっています。しかし、ここが一面の草原だった時代には、大きく広がる南外輪山裾野の草原の向こうに阿蘇五岳が一望できる、素晴らしい景観を満喫できる場所でした。その頃にはトラックを通す道路はありませんでしたから、この樹は草原の中にそびえ立つ一本杉で、遠くから眺めても拝所の場所がはっきりと認識できたことでしょう。
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