■地域の守り神として静かに佇む老樹
宇土城跡の高台から南を望むと、栗崎集落の山手にこんもりとした森が見え、そこが栗崎の天神様です。集落を通り抜けながら見上げても、たくさんの木が森を作っているように見えます。しかし、石段を登って境内に入って近づくと、一本の木が大きく枝分かれした姿であることが分かります。
幹は地上3メートルあたりで3本に分かれ、大きく空に向かって伸びています。西側の大枝は枯れていますが、残りの2本からは四方に枝が広がり、境内いっぱいに繁っています。主幹には目立つ傷や空洞はなく、クスノキの老樹で無傷のものは珍しいといわれています。
このクスノキも「郡浦天神の樟」と同様に樹そのものがご神体で、前の広場はお参りや祭などの行事に使われます。宇土の西岡神社末社菅原神社にもなっています。また、すぐ下に子安観音堂があり、安産の神様に多くの参拝客が訪れます。
堂々とした天神樟は地元栗崎町の氏神様として崇敬されていますが、戦前まで盛大に行われていた「栗崎の火焚き祭」はとくに有名でした。この祭は12月5日の夜に、この樹の前に大量の薪を積み上げ、炎が大枝に届くほど高く燃え上がらせる行事で、遠く金峰山からも火が見えたといいます。
宇土半島はクスノキの巨樹が多いところで、ほかにも「馬門(まかど)の歳の神の樟」「打越の天神樟」「大見の年祢宮(としねぐう)の樟」などがあり、それぞれ地域の人々に敬われ大切にされています。
また、近くに肥後三名泉の一つで、日本名水百選にも選ばれた轟(とどろき)水源があります。全国47都道府県から名水を100選んだとき、熊本から4つも(ほかは菊池水源・池山水源・白川水源)選ばれたことは、水が生まれる国・熊本が高く評価されたといっていいでしょう。
轟水源は、現在も使われている日本最古の上水道として有名な、轟泉水道(ごうせんすいどう)の水源になっている、歴史的にも意味のある場所です。この水道は元禄3年(1690)に、宇土細川藩の初代藩主細川行孝(ゆきたか)公が4.8キロメートルにわたって敷設したものです。300年以上もライフラインとして使われ続けていることに驚きますが、現在も水道管の取り入れ口から溢れた湧水を汲みに訪れる人が多い場所です。
この泉のほとりには地元の人々に親しまれたスギの大木がありましたが、現在は失われています。また、天神樟の近くには栗崎町出身の第8代横綱・不知火諾右衛門(しらぬいなぎえもん)の墓(嘉永7年:西暦1854建立)があります。
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