■日本古来の信仰の形が残る郡浦の氏神さん
クスノキの老樹名木は県下にたくさんありますが、その中でも一番の幹の太さを誇るのが「郡浦天神の樟」です。古くから樹そのものがご神体として祀られ、地域の人々に崇められてきました。大きな樹木や石に神様が宿られるので、そこに行って神様にお参りをしたのです。その後明治25年ごろに、太宰府天満宮より職旗を贈られたのでそれからは、学問の神様としても信仰されるようになりました。樹のすぐ前に拝殿がつくられ、ご神体を祀る神殿はつくられていないことから、樹そのものがご神体であることがわかります。毎年11月25日には地区総出の例祭が行われ、今なお人々に大事にされる地域の守り神です。
宇土半島の不知火海(しらぬいかい)側の海岸線を走る国道266号から、右手にこんもりとした森のように見えるのが、このクスノキが繁った境内です。近づくと、太い幹周りを持ち、地にしっかりと根を張った大樹が目の前にそびえ立っています。地上3メートルあたりから枝分かれし、樹勢盛んに葉を茂らせています。枝分かれしている基部には、腐葉土が蓄積して、ヤブランなどの植物が生え、老樹たる風格を示しています。
今は元気に繁っているクスノキですが、1000年の間には幾度もの危機を乗り越え、今日までを生き延びてきているのでしょう。主幹にはたたみ6畳ほどある空洞ができています。昭和16年(1941)1月31日に、焚き火の不始末からこの空洞に火がついて燃え上がり、大火事になりました。村人総出で、数十メートル離れた川からバケツで水をリレーして運び、火を消し止めましたが、6本あった枝のうち1本を切り落とさなければなりませんでした。また、平成3年(1991)の台風19号では最も大きい枝が折れ、葉も吹き飛ばされてしまい心配されましたが、いずれも手厚い養生の甲斐があって樹勢を取り戻し、今日にいたっています。
自然木のクスノキを鎮守の森の主として崇め、自然を大事にしてきた地域だからでしょうか、近年近くの小川にたくさんの蛍が発生し、多くの見物客が訪れ話題になりました。
また、この近辺は、江戸時代から風水害や干ばつに強いサトウキビが栽培されていました。昭和の前半まで盛んに作られ、群浦の黒砂糖といえば有名なものでした。しかし、外国産などの安い砂糖が入ってきたり、農家が高収入のミカン栽培などを始めたりしたので、サトウキビを栽培する農家はほとんどなくなりました。そこでもう一度黒砂糖づくりを復活し、黒砂糖で町おこしをしようと、「郡浦黒砂糖復活研究会」が発足しました。「黒砂糖ようかん」という物産品も誕生しました。
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