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  老樹名木詳細
 
一心行の桜(いっしんぎょうのさくら)


■誰もが一目見たいとあこがれるサクラの大樹
 一心行の桜は春の陽ざしを受けて青空に映え、そよ吹く春風に花びらを舞わせています。その姿は、堂々とした中にもたおやかな美しさと気品をたたえています。遠くから眺めても優美で、その全体像の豊かさに感嘆します。空を覆うように咲く花景色の見事さを一目見たいと憧れる人が多いのも納得できます。
 この樹は近くに寄って樹よりも一段低い場所から見上げたり、樹の周りをぐるぐると回りながら眺めるのが普通です。しかし、この大桜は阿蘇のカルデラの南半分である南郷谷の真ん中、周囲が広く開けた畑地に立っている独立樹ですから、阿蘇五岳と呼ばれる中央火口丘群を背景にしたり、長く連なる南外輪山を背景にしたりという、大きな景観の中に置いて眺めるのも良いものです。また、外輪山麓のなだらかな斜面から望遠レンズで覗いて見るのも、思いもかけなかった視野が開けて意外な楽しみが発見できるそうです。満開のときには、俵山峠の展望所からも望遠レンズでこの桜の姿を眺めることができます。

■幾度の災難を乗り越え、生き続ける村の宝
 この樹は美しい半円球形の樹形をしていましたが、平成16年(2004)8月30日の台風16号で中心部の大枝が2本折れる大きな被害を受けました。この台風が熊本県を直撃する方向に進路を向けたとわかるとすぐに、村役場を中心に専門家の意見を聞きながら村の宝物を台風から守る対策が立てられ、直ちに実働に入りました。樹の周囲に何十本もの間伐材を用いてたくさんの支柱を立て、7本の大枝のそれぞれを風で動かないようにしっかりと固定し、樹の全体を安定させる構造を大急ぎで作りあげました。この緊急避難処置が功を奏して、樹は風に吹き回されずにしっかりと立ち、吹き荒れた暴風にも耐えることができました。ただ、中央部の大枝は以前の台風による古傷のところから折損してしまいました。
 この対策は、引き続き襲来した平成18年(2006)9月7日の台風18号に対しても有効に機能しました。台風が最も接近したときには、村役場の担当者は心配で現場につめていましたが、人間が吹き飛ばされるほどの強風だったにもかかわらず、支柱で支えられている樹は強風に耐えることができました。
 台風の通過後に樹木全体の検診と傷の手当が行われ、緊急の仮支柱は全部取り外されて、現在見られるような大きな支柱に取替えられました。翌年には傷口からも大きな芽が伸び出し、現在は旺盛な回復を見せています。この樹が有名になって大勢の人が押し掛け、踏み固めや盛り土のため樹勢が衰えた時期もありましたが、地道な努力で根元の養生に努めてきたことが、今回の災難を乗り越える大きな力となって貯えられていたことが分かります。
 この樹は嘉永2年(1849)の山津波、昭和28年(1953)の大洪水にも耐えて生き続けてきました。50年前にも落雷で幹が6本に裂けるという災難に遭いましたが、その大被害を乗り越えてよく茂り美しい樹形を回復し、たくさんの花を咲かせてきたのです。現在芽が元気良く伸び出し、樹形を回復する動きが見えています。台風による傷も癒えて一日も早く以前のような豊かな姿に戻ることを祈ります。

■「一心行」の名の由来
 この樹は中村峯伯香守惟冬(なかむらのみねほうきのかみこれふゆ)の墓に菩提供養のために植えられたと伝えられています。惟冬は天正年間、当時の峯村(現南阿蘇村中松)に築城された鶴翼城(峯城)の城主で、阿蘇家の命を受けて矢崎城(現宇城市三角町)を守っていた天正8年(1580)、肥後に侵攻してきた島津軍と戦って戦死しました。残された妻子と少数の家臣は峯村に帰り、惟冬一族の霊を供養するために桜を植え、一心に行を修めたことから、「一心行の桜」と呼ばれるようになったといわれています。この樹は現在惟冬公の直系の子孫によって守られています。
 この桜については、一時期ヤマザクラであるとかエドヒガンであるとかの論争もありました。しかし、標本を作って詳細に調べることができていないので、正確な答えは分かりません。というのも、これが純粋な野生種、つまり自然の性質そのままに自然の中に自生していたものではなく、自然交配か人為的な交配の結果であるかは分かりませんが、何種類もの性質が混ざった株だからです。その中でもオオシマザクラの性質を持っていることが重要です。オオシマザクラは伊豆地方に自生する種類で九州には分布していないことと、古くから多くの栽培桜の親に使われているからです。このことから、一心行の桜は伊豆に近い場所か京都など園芸趣味の先進地にあった栽培品に由来するもので、どのような経路で阿蘇まで来たかは不明ですが、菩提供養のために普通では手に入らない立派な桜を植えたのだということが分かります。

■全国に生中継され、有名になったサクラ
 この樹は毎年20万人の花見客が訪れるほど全国に知られた存在になっていますが、そのきっかけは平成9年(1997)ごろにテレビ局が番組の合間にこのサクラをスポットで流したことに始まります。そのうちに少しずつ話題になって、平成11年(1999)4月2日に全国放送されました。それ以来、急に大勢の人が集中して訪れるようになりました。そのため混乱やトラブルが生じ、周辺整備が必要となりました。畑の中の墓地にある樹を見るのですから、まず、駐車場がない、大勢で畑を踏み荒らすという問題が出てきました。村では駐車場を整備しましたが、それでは足りずに現在では村が周辺の農地や牧草地を花見の期間中借り上げて、臨時駐車場にしています。広く知られるようになるとともに生じた大きな課題です。

■水の生まれる里、南阿蘇村
 この樹の近くには、日本の名水百選に選ばれた「白川水源」があります。吉見(よしみ)神社の境内にあり、毎分60トンの水が水底の砂を揺らしながらこんこんと湧き出し、池の両方向に流れ出しています。ここは現在は合併して南阿蘇村になりましたが、その前は白水村(はくすいむら)といい、県内第一の水の湧く里として知られています。白水村のいう名前そのものが村のいたるところに湧水があるところから、「泉」の字を「白」と「水」に分けて、熊本平野を流れる白川の水源になる泉の村「白水村」と名付けられたといわれています。白川水源以外にも、湧水量毎分120トンの竹崎水源、飲むと安産に効果があるといわれる明神池名水(みょうじんいけめいすい)公園の清水、夏にはホタルの乱舞が見事な寺坂水源、湧水量毎分5トンの池の川水源など、たくさんの湧水が豊富に湧き出し、名水巡りを楽しむ人も多くなっています。ちなみに、日本の名水百選は昭和60年(1985)に旧環境庁が中心になって選出したものですが、熊本県からは白川水源・池山水源・菊池水源・轟水源の4箇所が選ばれています。1つの県から4件も選ばれたのは熊本県と富山県だけですから、熊本県は日本で一番の名水に恵まれた県です。
 近くには阿蘇市の天然記念物で樹齢500年の「参勤交代道の桧」、樹齢250年の「小糸家の高野槇」、国指定天然記念物の「北向山の原生林」などがあります。


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