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  老樹名木詳細
 
鞍掛の櫟(くらかけのくぬぎ)


■乳房を想わせる大きなふくらみをもつ守り神
 参勤交代に使われた石畳の道(豊後街道)の弁天坂の近くにあります。車が通らない道なので石畳の間に草が伸びていますが、きっちりと石畳が敷き詰められた道が長く続き、往時の盛んな交通が偲ばれる道です。この弁天坂の途中に「鞍掛の櫟」への道を示す標識があり、そこから山に入って細い山道をしばらく歩いて森の中のやや平坦なところに出ると、クヌギの大木が現れます。「日本一のクヌギ」と書かれた標柱があり、養生のために大枝が切り落とされた痕がありますが、堂々とそびえる熊本県指定の天然記念物です。
 これがクヌギの木かと思うほど太い樹幹が立っていますが、地上3メートルくらいで4本の大枝が別れるので、そこから上の幹は主幹というより一番太い大枝という感じになります。幹の太い部分を横から見ると内部が空洞になっているのがわかりますが、厚い樹皮が空洞を覆うように発達し大地に根付いています。
 伝説によれば、弁天様が牛に乗って阿蘇から産山に来たときに、急な下り坂だったため鞍が牛の首までずり下がりました。そこで仕方なく弁天様は牛から降り、この樹の枝に鞍を掛けて一休みしました。このことから、この樹は「鞍掛の櫟」と呼ばれるようになり、この坂も弁天坂と呼ばれています。弁天様は現在も、このクヌギから約3キロメートル先の中山鹿(なかやまが)の集落にある弁天堂に祀られています。
 また、このクヌギは地元では「垂乳(たらちね)の櫟」とも呼ばれて敬愛されています。というのも、参勤交代道から登ってきた反対側(裏側)になりますが、地上2メートルくらいのところに堂々とした乳房のような突起が二つ並んでいるからです。豊作と子孫繁栄の象徴とされ、乳の出ないお母さんがこの樹に腰をかけると、乳の出が良くなると言い伝えられています。また、急な坂をあえぎながら登ってきた旅人がこの木陰で一休みしてついつい眠ってしまったら、この樹はやさしく木の葉を落として旅人を包み、垂乳から冷たい水を出して旅人の喉を潤したので、旅人は元気を取り戻して旅を続けることができたという話も伝えられています。

■垂乳(たらちね)の謎とき
 この垂乳は何か、なぜ、どのようにしてできたのかというと、夢のない話になりますが、実は樹の瘤なのです。木の枝を切り落とすと、丸い切り口の中の方は年輪があって材木になる部分で木部(もくぶ)といいますが、その周囲を樹皮が取り囲んでいます。そして木部は、根から吸収した水の通路となるところで、管状の細胞が縦に連なっています。その管状の細胞が盛んに作られる夏と、それがあまり作られない冬の違いが同心円に並んで年輪となっているのです。そして、年輪を作る細胞は水の通路である道管が完成したところで死に、細胞の膜だけが残って水を通す仕事をずっと続けています。
 それに対して、樹皮の部分は生きた細胞からできています。生きていることが木部との最大の違いで、葉で作られた養分の通路となるとか新しい細胞を次々に作るとかの仕事をしています。それで、枝が切り落とされると切り口を塞ぐように樹皮が盛り上がり、緑から中の方へ傷口を覆うように広がります。周囲の樹皮が盛り上がった段階や、その盛り上がりが少し広がった段階など、身近な樹木で普通に見ることができます。また、傷口が小さいときには短い期間に樹皮が覆ってしまうこともあります。
 「鞍掛の櫟」の場合は、両手で掴むほど大きい乳房になっていますから、最初の傷口が大きくて、長い時間をかけて現在の形にまで樹皮が成長してきたのでしょう。クヌギは樹皮にコルク層が発達するので傷害や火災などに対して強い木ですが、これだけきれいに傷口が回復しているのは、樹そのものが活気に満ちた樹勢盛んな時期に起きたことだったのでしょう。
 乳の出を良くする垂乳の話は各地にありますが、それはイチョウの枝に出る気根を垂乳と呼んでいるのが一般的です。しかし、この樹はクヌギであること、垂れ下がった乳房ではなくて丸く若々しく突出した乳房であること、弁天様の伝説と重なっていることで他の垂乳とは大きく異なっています。

■里山の主役だったクヌギ
 クヌギは日本人の生活に密接に関係してきました。それで、たいていの人が名前を知っていますが、日本人の生活が都市化したため急激に関係が薄くなってしまった樹木です。小学校唱歌「故郷」で「兎追いしかの山・・」と歌われた里山の主役で、薪炭として最も重要な木でした。薪として火力が強くて火持ちがよく、しかも割りやすいという長所が揃っています。また、木炭としても極めて優秀で火鉢など採暖用の黒炭としては最高とされています。こういうと、最近マスコミで話題にされる備長炭が最高と思い込んでいる人から反論されそうですが、備長炭は最硬質の白炭ですから団扇をバタバタして鰻の蒲焼などにするのには最高ですが、火鉢では酸素不足で立ち消えてしまいます。クヌギの炭も堅硬ですが、年輪の中に放射状のひび割れが入るので、菊花状で美しいだけでなく、酸素の供給が十分に行われるので燃焼が円滑で使いやすく採暖用には最高のものなのです。
 また、萌芽更新(ほうがこうしん)といって伐採した切り株から芽を出し、放置しておけば以前の林の状態まで成長する性質があるので、十数年ごとに伐採を繰り返すことができます。そのように生活のエネルギー源となる薪炭を採取する里山を構成する代表的な樹種で、関東地方の武蔵野のクヌギ林の景観は江戸の町に薪炭を供給する中で形成されたものですし熊本では黒石原のクヌギ林が有名でした。また、薪炭利用が減った現在では、椎茸栽培の原木として多く用いられ、そのための造林も行われています。

■阿蘇の原野とクヌギ
 また、阿蘇の原野ではクヌギやカシワが点々と、または、ある程度の集団になって生えているのを見かけます。これは放牧された牛馬に夏の暑い日差しを避ける場を提供する大切な働きをしています。阿蘇の原野では春に野焼きが行われ、それは草原を藪にする草木を焼き払うのが目的ですから、クヌギの生育場所にも火が回ることがあります。しかし、クヌギの樹皮にはコルク層が発達するので火に強く、ある程度の火に曝されても焼けたり枯死したりしません。コルク栓をつくるヨーロッパのコルクガシはスペインに自生する植物ですが、あれだけ厚いコルク層があればたいていの山火事でも焼け死なずにすみますし、また、そのような環境で進化をしてきた植物だともいえます。
 クヌギの実は丸い団栗(どんぐり)で、クリと違って渋みがあるので水にさらして渋みをとり古代から貴重な食料として利用されました。また、古名を「つるばみ」といい、団栗の皮、殻斗(かくと:いが)、樹皮などを煎じた汁で衣服を染めましたが、煎じ汁そのままで染めると薄い黄褐色、灰汁を媒染(草木染で発色を良くし色落ちを防ぐため別の材料を加える)に使うと「つるばみ」色という濃い黄褐色、鉄を媒染に使うと青みがかった黒の鈍色(にびいろ)、鉄の後に灰汁をかけると黒褐色の紫色(ふしいろ)、その上にさらに実の煎じ汁をかけると一層黒い色の墨染色(すみぞめいろ)になりますが、これらは衣服令で身分の低い人の着る色と定められていました。
 このように極めて有用で重要な樹木であるのに、生活の中で当たり前に多用されるため、尊敬されるよりも軽視されることが多かった樹種といえます。それだけに「鞍掛の櫟」のようなクヌギの巨樹は少なく、弁天様の伝説と結びついたから大切にされたとはいえ極めて稀なことです。
 クヌギは日光が降り注ぐ明るい場所が好きな植物です。それで、薪炭林として伐採されたり野火で焼かれたりという災難も、回復力の強いクヌギにとっては日光の取り合いをする競争相手を退治してくれる手助けになっているのです。
 この樹は弁天様伝説からもわかるように、見晴らしのよい原野の高台に立っていたものです。しかし、阿蘇の農業の形態が変化して原野の利用が減り、拡大造林の時代に周囲の原野が次々に造林地に変わり、周囲の藪も森林に変わってきました。そのため、森の中に埋もれて光不足のために衰弱しましたが、原因がわかって周囲の樹木を間引いて光を呼び込む処置をとったので、少しずつ回復してきています。


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