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明行寺の山茱萸(みょうぎょうじのさんしゅゆ)


■春の黄金花、秋の珊瑚といわれるサンシュユ
 明行寺は、夏目漱石の小説「二百十日」の冒頭に登場することで知られ、内牧(うちのまき)の町のほぼ中央で道路がクランク状に曲がって広場のようになったところの北にあります。山門をくぐるとすぐ左手に大きなイチョウがあり、この木が「二百十日」で紹介されたイチョウです。また、その奥には枝垂桜があり、いずれも市の天然記念物に指定されています。そして、このサンシュユはイチョウの前、正面の本堂と右手の鐘楼の間にあります。幹囲0.8メートル、樹高4メートルと表示されていますが、もっと大きく堂々と見える木です。
 サンシュユは中国の原産で、享保年間(1716~1735)に薬木として日本に伝わりましたが、現在は花木として庭園に植栽されている落葉小高木です。樹高は最大で10メートルを越すこともありますが、2本以上の幹が株立ち状になることもあります。枝が斜め横に広がって広円形になり、自然に樹形が整うので剪定など管理の手間が少なくてすむ木です。
 春、葉が開く前に黄色の小さい花が短枝の先端に球状に集まって咲き、その姿からハルコガネバナ(春黄金花の意)とも呼ばれ、代表的な早春を彩る花の一つです。秋になるとグミのような果実が鮮やかな赤色に熟すので、アキサンゴ(秋珊瑚の意)という風雅な名前でも呼ばれます。切り枝は春・秋ともに花材として好まれ、その果実酒は滋養強壮・疲労回復・冷え性に効くといわれています。果実を採集して種子を除いて干したものが漢方の生薬・山茱萸(さんしゅゆ)です。
 宮崎県の民謡「稗つき節」は源平時代の悲恋物語ですが、その中で唄われる「庭のさんしゅうの木」を、このサンシュユと誤解している人がかなりいます。しかし、このミズキ科のサンシュユは江戸時代に渡来した植物ですから、源平の世に存在するはずはありません。九州ではミカン科のサンショウのことを「さんしょの木」とか「さんしゅの木」とか呼ぶことがあるので、稗つき節に出てくる植物は香りが高くて辛味があり、果実や葉や樹皮を佃煮にしたり薬味に使ったりするサンショウだと考えるべきでしょう。

■夏目漱石の小説「二百十日」と内牧温泉
 夏目漱石は明治32年(1899)の9月、二百十日のころに第五高等学校(現在の熊本大学)の同僚である山川信次郎と、阿蘇中岳の火口を目指して登山しました。そのときの体験を作品にしたのが小説「二百十日」ですが、前日から宿泊した内牧の町の様子が、明行寺のほかにもいろいろと描写されています。主人公の圭(けい)さんと碌(ろく)さんが泊まっておしゃべりをし、「ビールでない恵比寿」を飲み、生と固茹でがセットになった「半熟卵」を出された温泉宿(養神館、現在のホテル山王閣)の部屋は、漱石記念館として昔のまま大切に保存されています。その前庭には自然石を重ねた文学碑があり、このときの登山で漱石が詠んだ句「行けど萩ゆけどすすきの原広し」が刻まれています。
 なお、内牧温泉は明治31年(1898)に掘り当てられた温泉ですから、漱石は開削直後に訪れたことになります。現在は源泉数が100を越す県内有数の温泉地となっていますが、昔は小学校の足洗い場にも温泉の湯が使われていることで有名でした。今でも温泉の湯を温室ハウスに利用している農家もあるほどです。
 二人が登山した日はあいにく二百十日の悪天候で、雨は降る風は吹く、よな(火山灰)もたっぷり降る中を、道に迷ったり穴に落ちたりと散々な目にあいます。その登山ルートがどこかについては多くの議論がありましたが、JR阿蘇駅近くの麓坊中(ふもとぼうちゅう)にある西厳殿寺の横を通って登る登山道の、二合目あたりにある坊中キャンプ場付近と特定されて、昭和52年(1977)9月に「二百十日文学碑」が建てられました。近くにはその後に漱石来熊百年を記念して建てられた歌碑もあります。
 内牧温泉は文学の香り高いところで、与謝野鉄幹率いる北原白秋・木下杢太郎・吉井勇・平野万里の「五足の靴」が明治40年(1907)に訪れ、それをきっかけに与謝野鉄幹・晶子夫妻が大正から昭和にかけて数回訪れ、そのときに泊まった宿も部屋も現存しています。ほかにも種田山頭火や宗不旱などが訪れ、それぞれにゆかりの石碑や歌碑が建てられていて、四季それぞれの自然を楽しみながら阿蘇の文学の道を散策できます


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