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  老樹名木詳細
 
金比羅杉(こんぴらすぎ)


■幹囲県下第一のスギの巨樹、老樹名木が多い小国郷
 現在の小国町(旧北小国村)と南小国町は併せて小国郷と称しますが、ここは著名な温泉が多いことと小国杉の産地として知られる地域です。そして、用材として育成するスギとは別に、文化財として価値の高いスギの巨樹が多いことでも有名です。その中でもひときわ大きいのが、この金比羅杉です。幹の大きさが幹囲12.4メートルで県下最大のスギですが九州一ともいわれ、近寄って見上げると唖然とするほどの大きさです。この樹を見るためには山道を30分ほど登らなくてはなりませんが、その価値が十分にあると納得します。
 満願寺集落の南、権現山の尾根の高い場所に立っているので、これまで何回も落雷の被害を受けました。元禄年間の落雷では幹が二つに裂け、昭和4年(1929)の落雷では幹の空洞内に火がつき、まるで火山の噴火のように夜空を赤く染めて燃え上がったそうです。水利の不便さと山の崖の上という立地条件の悪い中、小国郷全域から駆けつけた人々による手桶リレーで水を運んで消火にあたりましたが、鎮火までに19時間を要したといわれます。黒く焦げた痕は現在も空洞の中に残っています。そして、その消火班の食事に炊き出しをした米が10俵(約600キロ)に及んだと伝えられています。
 また、平成3年(1991)の台風では北側の主幹や大小の幹や枝が被害を受けましたが、翌年直ちに腐朽防止などの保存処置が行われ、老樹ながらも活力を取り戻して枝が伸び葉も茂るようになりました。
 この樹は、伝説では「天女が双手に苗を捧げて持ち帰って植えた」といわれます。また、小国郷が北条氏の支配地になった鎌倉時代、北条時定が満願寺を建立したときに植えた、とも伝えられています。金比羅杉の名は、北条氏が瀬戸内海の輸送の安全を祈ってここに金比羅権現を祀ったことに由来します。
 明治29年(1896)、明治維新後の神社合併で金比羅社が近くの満山神社に合祀されたとき、跡地にこの樹だけが残されることになりました。そのとき、「この樹が払い下げられて個人所有物になれば伐採される恐れがある、このような得難い老樹は永久保存ができるようご配慮いただきたい」という趣旨の上申書が出され、地元の熱意で払い下げを止めた歴史があります。


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