くまもと緑・景観協働機構
事業概要 各種助成事業 くまもと路樹・景観の紹介 老樹名木めぐり 花と緑の園芸相談 調査・研究 各種申請書 お問い合わせ Q&A(FQA)
  HOME > 老樹名木めぐり > 035下の城の銀杏 > 035下の城の銀杏(詳細)
  老樹名木詳細
 
下の城の銀杏(しものじょうのいちょう)


■黄金色の大きな塊
 小国町の中心、宮原(みやのはる)から大分県の日田(ひた)方面に国道212号を4キロメートルほど進むと、右手の谷・杖立川(つえたてがわ)の向こう側にひときわ大きなイチョウの巨樹がそびえています。これが「下の城の銀杏」で県内最大のイチョウの巨樹で、国の天然記念物に指定されています。
 樹の周辺は道路から少し高くなっていて、戦国時代にこの地域を支配していた下城上総介経賢(しもじょうかずさのすけつねかた)の墓所です。周辺には下城遺跡があります。下城氏については不明な点がたくさんありますが、高く大きくそびえる樹は経賢の母妙栄(みょうえい)の墓標とされ、樹の下にある五輪塔はその墓と伝えられます。少し離れたところにさらに二基の五輪塔があり、その一つは息子の経賢の墓だとされています。
 大きい樹幹の周囲をたくさんの「ひこばえ」が取り囲み、親株を守っているかのようです。そして、樹幹が太く成長につれて中側のひこばえから順に取り込まれ、親子が一体になっていった様子も見てとれます。この樹は高く伸びるよりも枝を大きく横に伸ばして道路や近くの民家までを覆うほどで、梢の枝が折れるように曲がっているのが特徴です。そのため、全体の樹形が大きな塊のようになり、遠くから見ても春夏は緑色の、秋には黄金色の大きな塊のように見えます。10月中旬から11月にかけての黄葉の時期になるとライトアップされ、幻想的な輝きが闇の中にくっきりと浮かび上がります。

■地域の女性に大切にされてきたイチョウ
 この樹には多数の気根が乳房のように垂れ下がっているので、地元では「ちこぶさん」の愛称で親しまれています。北小国村時代の古い天然記念物台帳には「名称 乳瘤」(ちちこぶ)と記録されています。「ちこぶさん」とは、乳の出が悪いお母さんが乳の出がよくなることをこの樹に祈り、垂れ下がった乳瘤を削って煎じて飲むと乳の出が良くなるという信仰に基づく名称です。粉ミルクが無かった時代に母乳の不足は大変なことで、願のかなった人はお礼に乳房の形を布で作り、この樹に下げるのが地域の習わしでした。
 このイチョウの周囲は地元の老人クラブの皆さんが清掃しています。また、16年前から10月末の日曜日に、この樹の周りで「ちちこぶ祭」が行われます。そこでは地元の特産品などがふるまわれ、記念写真を撮ったり、来年のイベントの案内状が届けられたりと、観光で訪れる人たちと地元の人たちとの交流の場になっています。また、イチョウが黄葉する時季には、この樹の下で訪れる見物客を温かく歓迎する場がもうけられます。それを「心の駅」と地元の人たちは呼んでいます。そして、このイチョウは雌株ですからたくさんの実がなり、それを洗ってきれいに仕上げたぎんなんもこの場で食されます。

■「鏡ケ池」の悲恋伝説とイチョウ
 この樹には「鏡ケ池」についての伝説があります。昔々、都から九州は豊後の国(大分県)に流された清原正高(きよはらのまさたか)を慕って、醍醐天皇の孫姫である小松女院(こまつにょいん)が九州に下って来ました。しかし、正高の居所がわからず、あちこちをさまよい歩いて疲れ果てました。ふと見ると古い祠(ほこら)があり、きれいな水が湧いていて池になっていました。姫は、女性の宝である鏡を池に投じて正高との再会を祈りました。そのためこの池が鏡ケ池と呼ばれるようになったといわれています。鏡ケ池は小国町の中心、宮原にある両神社(りょうじんじゃ)の近くにあり、いまも清冽な水を湛えています。宮原を後にした小松女院の一行がたどり着いたのが、ここ下城(しもじょう)です。そこで、女院の乳母が亡くなり、そのとき女院によって植えられた記念樹がこのイチョウであると伝えられています。女院はそれから杖立(つえたて)を通り大分に出ますが、三日月滝のところですでに正高に奥方と子がいることを聞き、絶望のあまり滝に身を投げました。正高は後にこれを聞いて大変驚き、女院や侍女のなきがらを引きあげ葬ったということです。
 なお、清原正高は、肥後の守として熊本に赴任してきた清原元輔の子で、「枕草子」の清少納言の兄にあたります。     

■イチョウから車で5分の杖立(つえたて)温泉
 「下の城の銀杏」から道路を挟んだ向こうの谷間、駐車場などから見下ろせるところに大きく落下する「下城滝」(しもじょうだき)があります。夏は涼しく、秋には周辺の雑木の紅葉に映え、また黄葉したイチョウの巨樹との対比が見事です。また、滝から約5キロメートル下ったところに、古くから知られた杖立温泉があります。この温泉は、平安時代の初期に弘法大師が訪れて、効験著しいのに感じて、持っていた竹の杖を地面に立ててみたところ節々から枝や葉が生えてきたといわれ、これが杖立という地名の由来だと伝えられています。また、杖をついて湯治に来た病人や老人が湯浴みをすれば、杖を立てたまま忘れて帰るくらい効能があるので、杖立と名づけられたともいいます。いずれにせよ、1700年もの歴史があるという杖立温泉がごく古い時代から交通の不便さを乗り越えて多くの人々に愛され続けてきた温泉であることがわかります。
 また、今年11月4日に「阿蘇みんなの森」で行われた全国育樹祭では、このイチョウの種子から子どもたちが育てた苗木が、県内の緑の少年団の手で千葉県の少年団に贈呈されました。
 近くには、国指定の天然記念物の「樹齢1300年の阿弥陀杉」、「樹齢1000年の竹の熊の大欅」、小国町指定の天然記念物の「樹齢1000年の鉾納宮(ほこのみや)の欅」、「樹齢1000年の北里大社の欅」、「樹齢1000年のけやき水源の欅」、また「樹齢700年以上の上田原の金木犀」があります。


© Kumamoto Midori Keikan Kyoudou Kikou. All Rights Reserved.