■竜巻も受け止め、里村を見守る「椋殿様(むくどんさん)」
ムクノキはニレ科の落葉高木で本州中部以南に分布し、県内でも平地と丘陵に普通に見られる身近な樹木です。幹は真っ直ぐに伸びて大きく枝を広げ、豊かに茂る葉の表面はざらざらしています。それは剛毛が密生しているからで、漆器(しっき)や鼈甲(べっこう)や象牙(ぞうげ)などの表面を磨くのに用いられてきました。
この樹は大津町の町(まち)という集落にあり、白川に架かる日暮橋(ひぐればし)から眺めると、人家の屋根を高く越えて聳えています。幹からは枝を四方に10メートルほど伸ばし、樹勢も盛んな県内で最も大きいムクノキの一つです。幹にはテイカカズラが這いあがり、根元にはヤブランなども生えていて、老樹の風格を引き立てています。
幹には高さ6メートルほどの空洞があり、数人の大人が入って座れるほどの広さです。また、そこから上を見上げると空が見えますが、これは安永年間(1772~1981)の夏の暑い日に発生した猛烈な竜巻に吹き折られた痕だそうです。この竜巻は家々を壊すなど広い範囲で暴れ回った後、このムクノキのところで消滅したと伝えられています。
この地域のことを記録した「陣内史談」には、昔はここに天満宮が祀られていたこと、この宮は陣内玉岡の大宮社と一緒に祀られるようになったこと、ムクノキは跡地(天神森)に残り「椋天神」「椋殿様」と呼ばれ、ご神木として崇敬されたことなどが記されています。昔は毎年秋に「椋殿様まつり」が行われていましたが、現在は4月29日(昭和の日)に「椋天神まつり」が行われています。「椋天神保存会」も発足して、今なお地域の人々に親しまれ大切にされている「椋殿様」です。
近くに県指定重要文化財(建造物)の「江藤家住宅」があり、江戸時代から明治初期に建てられた建物が残り、公開されていませんが外部からもそのたたずまいがうかがえます。また、「椋殿様」の西400メートルの窪田日吉神社にはイチョウの大木があり、気根が何木も垂れ下がり、この木に触れると母乳の出が良くなると言い伝えられています。
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