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  老樹名木詳細
 
仏供石の椨(ぶくいしのたぶのき)


■畜産の町のご神木のタブノキ
 阿蘇西外輪山にそびえる鞍岳(くらたけ)(1119m)は、馬の鞍を山の屋根に置いたような形で、遠くから見ても識別できる山です。その西斜面の標高500メートルほどのところに温泉施設やキャンプ場、動物ふれあい広場などがある「四季の里旭志(しきのさときょくし)」がありますが、その駐車場に隣接する林の中に少し入ったところにあるのが「仏供石の椨(ぶくいしのたぶのき)」です。樹の根元に「仏供石さん」と敬称をつけて呼ばれる大きな石がありますが、鞍岳にある馬頭観音を山頂まで行かずに遠くから遥拝(ようはい)する場所に使われたことから、この名があります。
 タブノキはこの「仏供石さん」の脇に堂々と立ち、うっそうと枝葉を茂らせて豊かな樹冠を形成しています。どっしりとした主幹は地上3メートル付近で3本の幹に分かれています。四方に張り出した枝はくねくねと絡み合うように長く伸び、まるで蛇が踊っているかのように見えます。樹の精霊が出てきそうな独特の雰囲気と樹形が特徴で、誰からもいじめられず、みんなに可愛がれて素直に大きく育ったという感じのする巨樹です。

■神宿る山、鞍岳
 明治の文豪徳富蘆花の代表作「思ひ出の記」の冒頭部分に、忘れがたい山、高鞍山として描写された鞍岳の山頂からは、東に九重連山、そして周囲約130キロの外輪山の中に阿蘇の五岳が手にとるように見え、九州の屋根、祖母・傾の峰々がその後方に遠望できます。西は眼下に菊池平野、そして熊本平野が広がり、その向こうに有明海がきらめき雲仙岳が蜃気楼のごとくに見えます。
 山頂直下に大同元年(806年)に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が建立したという「合志三十三ケ所第一番札所の鞍嶽山観音寺」があり、馬具の鞍の形をしたこの山を見た坂上田村麻呂が「鞍岳」と呼んだのがその名の由来とされています。その後無名の侍が馬に乗りお百度参りをして、乗馬の技が上達し出世したという話もあります。以来牛馬の神が宿る山とされ、地元では毎年3月18日を「鞍岳さん祭り」の日としています。この日は近隣の牛馬の飼い主をはじめ、遠くは熊本市方面からも鞍嶽山観音寺に詣で、昭和の初めごろは飾り馬で山頂一帯が賑わったそうです。昔の賑わいはありませんが今なお四季折々お参りする人が絶えません。地元では、この高鞍山こと鞍岳を「くらたけさん」と呼び、神宿る山として崇高し、蘆花が書いたように朝夕に山頂を仰ぎ見て、その日の天気を予想し今日も農作業の段取りをしています。

■生活に密着した木
 タブノキはクスノキ科の常緑高木で、葉を揉むとクスノキ科特有の芳香がしますが、強くはありません。沿海地の低山や丘陵に普通に見られる樹木で、海近くで潮水がかかるような場所にも生育しています。材は綿密でやや堅く工作しやすいので、鉄道の枕木や舟の材料に使われたほか、箱や家具など多様な使われ方をしました。特に根部にできる瘤は美欄と呼ばれ、木目が美しいのでパイプ・茶棚・置物棚など美術的な器具の材料として珍重されました。
 そのようにして役に立つことが多いのに、派手に自己主張をしない地味な植物なので、普通に見ているのに記憶に残っていない人が多いようです。里山に多くて薪に切られてもすぐに成長して平凡で目立たないことが特徴のような木です。それがこの木のように長年にわたって傷つけられることもなく育ち、タブノキ本来の姿はこのようなものだということを示すかのように立っているのは、ここが神聖な場所だったからでしょうが、珍しいことです。

■放浪の歌人、宋不旱(そうふかん)終焉の地
 鞍岳の西麓の大規模林道沿いには、熊本が生んだ放浪の歌人 宋不旱の歌碑があります。昭和17年5月末、阿蘇市内牧(うちのまき)温泉の宿をを出たまま消息を絶った不旱の終焉の地は、この歌碑から林道を500mほど先に進み、更に700mほど下った谷間とされます。静寂な中に湧水の音が聞こえ、埋葬地であることを記した案内板が建てられています。宋不旱の歌碑は、出身地である山鹿市来民(くたみ)のほか、県内各地にあります。以前に紹介した阿蘇市(あそし)的石(まといし)にある、市指定天然記念物の「小糸家(こいとけ)の高野槇(こうやまき)」の少し奥に隼鷹天満宮があり、その境内にも歌碑と直筆の短冊を写したとされる石碑があります。


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