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  老樹名木詳細
 
多久の黐(たくのもちのき)


■高台にそびえる大きく育ったクロガネモチ
 昔の岳間村の中心だった多久の田中(たんなか)集落を見下ろす高台の墓地に、市指定天然記念物のクロガネモチが立っています。クロガネモチは常緑で艶のある葉と冬にたわわに実る赤い実が美しいので、庭木だけでなく公園や街路にもよく植栽されています。この樹はクロガネモチとしてはとても大きく育っていますが、雄株なので実はなりません。
 クロガネモチを植えるときは赤い実のなる雌株を植えるのが常識ですから、この樹は誰かが植えたのではなく、自然に芽生えたものだと思われます。しかし、墓地に生えたので何となく大切にされ、それが育って現在の大きさにまでなったもののようです。このあたりは宮地嶽(みやじだけ)公園と呼ばれ、昭和35年に田中集落の人々によってソメイヨシノ200本が植えられました。台風で倒れて失われたものもありますが、現在では桜の丘として花見の名所になっています。満開の桜の花の色の中にこのクロガネモチの葉の濃緑色が美しく映えるそうです。平成3年の台風で大きく枝が折れてしまったので、このクロガネモチを伐採することも検討されたということです。しかし、残すことに決まり、養生をしたので、昔に比べるとずっと小さくはなりましたが、現在は樹勢を回復してきています。また、落葉がたくさん散るので掃除が大変だと言いながらも、みんなが落葉を掃除に行くので墓地がきれいに維持されているのだそうです。

■人々の願いの架け橋、田中橋
 クロガネモチが立つ台地の下を流れる岩野川には、安政5年(1858)に建設された石造アーチ橋の田中橋が架かっています。この橋には「化巖矼」という難しい名前も付いていますが、地元では「田中橋(たんなかばし)」とか「車橋」と呼ばれており、市の有形文化財としての指定名称も「田中橋(車橋)」となっています。
 岳間村は明治22年に多久と椎持(しいもち)が一緒になってできた村です。昔から林産物の豊かな村として知られ、岳間という村の名称にも山村である誇りが感じられます。しかし、現在のように岩野川に沿って岩野に出る道路が開通するまでは、農林産物を運ぶにはここで岩野川を渡り、荒平(あらひら)峠を越えて現在の菊鹿町の相良(あいら)方面に出なくてはなりませんでした。
 わりとなだらかな山越え道のようですが、このあたりで岳間川が急流となり、飛び石伝いに川を渡らなくてはならないので誤って命を落とすこともある難所でした。その後ここに架けられた木の橋は洪水になるとすぐに流されたので、往来は困難をきわめました。
 そこで、総庄屋の東山弥二兵衛(とおやまやじべえ)と庄屋の栄右衛門(さかいうえもん)らの尽力で、灌漑用水を通す橋として有名な通潤橋(つうじゅんきょう:旧矢部町、現在の山都町)と同じ工法による、頑丈な石橋が造られたのです。実際に橋を架けた石工は下内田村(現在の菊鹿町)の藤右衛門と籐兵衛ですが、この橋の完成に携わった人々の名前は橋のたもとの石碑に刻まれています。石碑には「藤からむ巖(いわお)と化せよ車橋」とも刻まれており、堅固な橋であることを望む当時の人々の思いが表れています。このクロガネモチの樹齢は150年ほどといわれていますから、工事が始まったころに芽生え、橋と一緒に年齢を重ねてきたことになります。

■多久神社の杉並木と岳間渓谷
 この樹から東に岳間渓谷への道をしばらく進むと、左手にこんもりとした多久神社の森が見えます。渓谷に向かう道から左折して神社の前まで来て見上げると、道路脇の鳥居から境内に続く参道の両側に樹齢250年ともいわれる大きなスギが立ち並んでいます。大きいものは幹囲5メートル、樹高30メートル以上もあります。平成3年の台風19号で大きな被害を受けてずらりと並んだ昔日の面影を失いましたが、それでも見事なものです。スギの他にも大きなクスノキやタブノキ、イチイガシ、シイなどの大木が社叢を形成し、かつては「鹿北一の美林」とも呼ばれるほど鬱蒼(うっそう)とした森でした。それが、連続して襲来した大きい台風で次々に吹き倒されて明るい林になってしまいました。しかし、今では傷痕も次第に癒えてきています。
 福岡県境の筑肥山地の南側を東から西に流れる岩野川が岳間渓谷を刻みました。ここは県の最北部で海から遠い内陸部でありながら、カネコシダというウラジロに似ていますが珍しいシダをはじめ、カンザブロウノやカギカズラなど暖地性の植物が分布する特殊な地域として知られています。清冽な谷川の横に岳間渓谷キャンプ場があり、夏には子どもたちの歓声が響きます。
 岳間渓谷の一番奥には国見山(1018メートル)があり、山頂近い斜面にはツクシシャクナゲの群生地があります。

■全国に知られた「岳間茶」と唄い継がれる「鹿北茶山唄」
 岳間はお茶の産地として全国に知られています。寛永9年(1632)初代の肥後藩主・細川忠利公は、お国巡視の折に椎持村(旧鹿北町岳間)の人たちが献じたお茶の香りとまろやかな渋味がとてもお気に召されました。以来、細川家代々の御前茶として献上されてきた記録があるほど長い歴史を持つ産地です。茶摘みには「鹿北茶山唄(かほくちゃやまうた)」が唄われてきましたが、これは茶摘みの単調な作業を楽しくしようと江戸時代から大切に唄い継がれてきた民謡です。
  八十八夜のころになると、天草や宇土方面から多いときには千人以上も岳間の茶摘みに集まり、茶山の里は大変な賑わいだったといわれています。
 「肥後の殿様 お召しの銘茶 あかねだすきの手もはずむ」「お召しくださる細川様に あげる誇りの この銘茶」と唄われ、「のぼり唄」「摘み唄・揉(も)み唄」「仕上げ唄」と、組曲になった民謡は全国的に珍しいといわれています。
 この鹿北茶山唄をふるさとの心として伝えようと、昭和44年(1969)に保存会が結成されました。素朴な詞と節まわしで、全国の民謡愛好家に人気があり、平成3年(1991)からは「鹿北茶山唄全国大会」が毎年10月の最終日曜日に開かれています。去年の大会には静岡県や愛知県からの参加もあったそうです。地元ではこの民謡のCDを制作し、茶山唄を広めようと努力しています。
 この地域は筍(たけのこ)の産地としても有名です。竹はモウソウチクが中心ですが、竹の生育に適した赤土の多い土壌で雨量が多く、県内でもトップクラスの産地です。最近では中国産の筍が大量に輸入されて打撃を受けましたが、自然の中で育てられた安全で高品質な筍を目標に頑張っています。また、ここは椎茸の産地としても知られます。


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