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  老樹名木詳細
 
牧本の雀榕(まきもとのあこう)


■船で渡って楽しむアコウの樹
 御所浦(ごしょうら)町は、御所浦島と牧島など大小18の島々からなる離島の町で、御所浦港(通称本郷港)は、天草市の中心にある本渡(ほんど)港や対岸にある上天草市倉岳町の棚底(たなぞこ)港、九州本土の三角(みすみ)港や八代港や水俣港などからの定期船が発着する島の表玄関です。
 この島は県内有数の釣りの名所で、良く知られた釣りのポイントがたくさんあります。上天草市龍ヶ岳町の大道(おおどう)港などから海上タクシーと呼ばれるチャーター船で渡来する人も多くいます。
 島がだんだん近づいてくるのをわくわくして眺めながら御所浦港に到着すると、港の桟橋のそばで肉食恐竜ティラノサウルスが出迎えてくれます。すぐ近くに物産館「しおさい館」があり、道をはさんで「御所浦白亜紀資料館」があります。しおさい館でレンタル自転車を借りれば、島内を自由にあちこち巡ることができ、島の自然と文化に身近に触れることができます。島内唯一の自由に使える交通機関。もちろん普通のタクシーも利用できます。
 港から北に自転車を走らせ、中瀬戸橋を渡ってしばらくすると、牧本というバス停のそばに堂々と立っている樹が見えてきます。これが牧島の牧本の雀榕です。
 牧本は南に開けた浜の集落であるため、南風(はえ)の強風と潮風を防ぎ、高浪から海岸線を守るため随所にアコウが植えられていました。高い石積みの海岸線に添ってアコウの並木が続く景色は昭和40年代後半(1970頃)まで残っていました。しかし、そのころに始まった離島振興の改修工事によって埋め立てと道路建設が大規模に行われ、アコウの大半が伐採されてしまいました。
 「牧本の雀榕」はそのとき伐採されずに残されたものの代表で、市の天然記念物に指定されています。樹幹が道寄りに少し傾いており、幹に太い気根をからみつくように伸ばして、丸くこんもりとした姿で立っています。夏には心地よい木陰をつくり、バス停に置かれたベンチに座って近くの人たちが世間話に花を咲かせます。

■個性豊かなアコウ
 近くには、同じように大きいアコウが何本もあり、約500メートルに渡って南国天草の雰囲気を残しています。それらのアコウを、冬から春に移り変わる季節に眺めていると、興味深い現象に気がつきます。アコウは常緑広葉樹ですが、この季節には落葉して裸になっている木があるのに、青々と葉をつけたままの木もあるという不揃いが目立つのです。
 常緑樹というと一年365日ずっと緑色の葉をつけていると誤解している人が多く、落葉しないと誤解している人までいます。しかし、一度作られた葉が永久に使えるはずがありません。古くなった葉を捨てて新しく作った葉と交代させなくてはならないのです。
 常緑樹の葉は、落葉樹と比べて丈夫で長持ちする構造になっていますが、だからといって永久に使えるものではありません。マツの仲間はいつも緑色をしているので常盤木(ときわぎ)とも呼ばれ、おめでたい木の代表にされています。しかし、マツの仲間は一斉に葉を落とすことをしないで、古くなった葉を一つずつそっと捨てているので目立たないだけのことです。お正月の飾りに使うユズリハも常緑樹ですが、新しい葉が十分に成長してから古い葉が落ちる様子を、新しい世代と古い世代の交代を譲り合いの精神で行っていると考え「譲り葉」と名づけたものです。そう言えば、楠若葉が燃え立つときのクスノキも、木が大きいだけに一挙に大量の落葉をしています。
 ところが、アコウは一本の木では古い葉と新しい葉の交代は揃っているのですが、それぞれの木が個性的で、せっかちな木は早くからさっさと葉を落とし、のんびりしている木はいつまでも古い葉をつけているのです。そのため、古い葉のままの木と、裸になってしまった木と、新しいきれいな葉に交代し終わった木が、勝手に並んだ景色になるのです。しかし、古い葉から新しい葉への交代をするのは春のうちですから、早い遅いの差はあっても全部が新しい葉になり、夏に向かって日々に明るくなる太陽の光をたっぷり浴びて光合成の仕事に励みます。
 なお、落葉樹の場合は、春に新しい葉を作り上げ、古くなった葉は秋に一斉に捨てて枯れ木のような姿で冬を越しますから、その交代がはっきりと見えます。中には枯れた葉を落とさず、春に新しい芽が開くときまで枯葉状態でしがみついている木もありますが、新しい葉との交代ははっきりしています。

■豊かな自然に恵まれた恐竜の島
 御所浦という地名は、景行天皇ご巡幸の船が芦北から宇土半島に向かったとき、嵐のためこの島に立ち寄って行宮(あんぐう)を置かれた伝説に由来します。島には古墳や古塔などの遺跡が多く、先史時代から人が住み、大陸の文化を取り入れた生活をしていたことが解明されています。また、平家落人や源平合戦に関する伝説、歴史を語る地名なども多く残されています。
 人間が住むようになる前からの貴重な遺物が残されていることでも御所浦島は有名です。島は大きく分けて白亜紀と呼ばれる恐竜が生きていた時代と、恐竜が絶滅した後の時代の二つの地層からなっていて、その両方の地層に残されていた当時の生物の遺体や生活の跡が注目を集めているのです。
 その第一が天草で初めて平成9年(1997)に京泊(きょうどまり)で発見された草食恐竜の足の脛(すね)部分の化石です。「白亜紀の壁」と呼ばれる約1億年前の白亜紀の地層からは、日本最大級の肉食恐竜の歯の化石が発見されています。また、牧島で発掘されたコリフォドンは日本最古の大型哺乳類の化石として知られます。周囲200メートルほどの小さな弁天島(べんてんじま)には、平成9年に九州で初めて恐竜の足跡の化石が発見されました。これは約9800万年前に恐竜が川のほとりの泥の上を歩いた時に残したものです。
 御所浦島にいろいろな化石が埋まっていることは、以前から研究者には知られていましたが、恐竜の化石発見後はブームになった調査や研究のおかげで、イノセラムスと呼ばれる殻長(かくちょう)50センチほどの大型の二枚貝をはじめ、多様な貝類やアンモナイトなどの化石が確認し直され、それらを恐竜の化石とともに収蔵・展示する「御所浦白亜紀資料館」が設置されました。
 恐竜の足跡化石には干潮時に海上タクシーをチャーターして行くことができます。京泊の化石発見地も満潮時には海の底です。
 なお、島では化石保護のため、許可された場所以外での採集や持ち出しはできません。

■御所浦をまるごと体験
 離島である御所浦島への交通はすべて船です。青い海に浮かぶ目的地の島に次第に近づいて行く船旅では、日常とは異なった楽しい旅情を味わうことができます。釣りが目的の人にはこれからの桜の季節においしい桜鯛がおすすめです。
 釣り以外の目的で訪れた人は、夏場の海水浴や海のレジャーだけでなく、史跡巡りや御所浦の最高峰、烏峠(からすとうげ:標高442メートル)からの360度の視界が開ける不知火海の眺望を楽しめます。御所浦港から烏峠頂上の展望所までは自転車で約90分、車では20分ほどです。
 御所浦町では平成14年(2002)から、漁業や農業を営む家庭が島の暮らしのままで修学旅行生を受け入れる「民泊」が行われています。平成9年(1997)に恐竜の化石が発見されてからは、化石発掘体験を中心に修学旅行生が訪れるようになりました。その中学生たちにより多くの御所浦の魅力を伝えたいと、農漁村の暮らしと文化を体験できる「ごしょんな(御所浦)で民泊」が行われ、西日本の中学校を中心に毎年10校、1000人ほどが訪れています。昔ながらの「とんとこ漁」や「養殖魚の餌付け」「ミカンちぎり」などに、目を輝かせて参加しています。
 ごく普通に島の家庭で食卓に並ぶ、取れたての魚のすり身やエビやちりめんじゃこを使った料理や地元でなじみの鯛茶漬けも、素材の新鮮さがうれしい一品です。


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