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馬見原(上益城郡山都町)は、旧藩時代の肥後と日向往還の宿場町。物資の集散地、交通の要衝として栄え、明治末期には造り酒屋が16軒、茶屋7軒が軒を並べ、明治35年に当地を訪れた当時17歳の若き歌人・若山牧水は、「馬見原ハ シャレタ町ナリ」と道中日記に記している。今も往時の面影を伝える明治17年の建築という元醤油醸造の白壁造りの商家「新八代屋」が残っているが、その新八代屋から西に下る、石畳舗装のなだらかな坂の新町商店街は、平成のシャレタ馬見原のたたずまいを見せている。
地域住民を主体に、平成9年3月設立の「馬見原街づくり協議会」が、町とともに歴史的建物の修景保存や町並みの景観整備に取り組んでおり、平成10年3月には「馬見原地区景観形成住民協定」も策定されている。馬見原のシンボルでもある火伏地蔵堂のある新町商店街の店舗や民家の修景が進められ、交流広場や小公園が整備され、牧水の歌碑も建立されて、明るく、すっきりした町並みの装いが印象的だ。 |