“道はいつも、そぞろ歩きを誘うものであってほしい”
道が、ただ通りすぎるだけの通路に成り果てたのはいつ頃からだろう。目的地である点と点を最短距離で結びつける道、山も田畑も突き抜けて、ただひたすら直進していく高速道路。消え去ったものは、土地の精霊たち、人々の気配、たくさんの小さな思い出…。
歴史ある上熊本エリアを中心とした「わが輩通り」には精霊は住んでいないが、道をもっと楽しみたいというメッセージを感じた。各所のサインに登場する猫や山高帽の漱石先生にも遊び心が生きている。今後いかにポケットパークに人の足を止め、溜まり場にまで仕掛けていけるか、4キロの距離を連続性を持たせながら“歩かせる”工夫など、「わが輩通り」の抱える課題は多い。が、道にもっと目を向け、道を遊ぼうという思想は共感できるし、その契機になれば、通りの存在価値は大きい。今後の展開に大いに期待したい。
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