くまもと緑・景観協働機構
事業概要 各種助成事業 くまもと路樹・景観の紹介 老樹名木めぐり 花と緑の園芸相談 調査・研究 各種申請書 お問い合わせ Q&A(FQA)
  HOME > 老樹名木めぐり > 097千ヶ平八幡の椋 > 097千ヶ平八幡の椋(詳細)
  老樹名木詳細
 
千ヶ平八幡の椋(せんがひらはちまんのむくのき)


■集落の中心に立って、人々の生活を見守る老樹
 水上村古屋敷(ふるやしき)の集落から球磨川本流が深く鋭く刻み込んだ谷を遡ると、片地(かたじ)の集落に出ます。道路の左側に椎葉商店の建物があり、お店は閉じていますが、それが目印になります。そこから右に急斜面を回り込みながら登っていった先の傾斜地が千ヶ平の集落で、その中心の高台に遠目にも目立つ大樹がそびえています。これが村の天然記念物である千ヶ平八幡の椋です。
 千ヶ平地区は、現在19戸35人の集落で、車で登り詰めたところに公民館があり、そこに千ヶ平八幡が祀られています。もともとの祠は山の下手にあり、大正期に50メートルくらい上の現在地に移されました。今は、公民館に引っ越していただいたので、公民館が拝殿になっています。つまり、神社兼公民館なのです。その千ヶ平八幡神社のすぐ横に、この樹が立っています。主幹の下から上までキヅタなどの「つる植物」が巻き付いているので、寒いときに着膨れた人のようです。また、下の方には着生植物がびっしりと付いていて袴をはいたような面白い樹形になっています。

■千ヶ平阿蘇八幡神社と虎舞い
 神社の正式名称は「千ヶ平阿蘇八幡神社」で、祭神は阿蘇神社と同じ健磐龍命(たけいわたつのみこと)です。ほかの地域の八幡神社とは祭神が違いますが、詳しいことはわかっていません。例祭は旧暦の3月15日で、市房神社と同じ日に行われます。球磨地方で阿蘇神社というと奇異な感じを受ける人がありますが、民謡「球磨の六調子」で「球磨で一番青井さんの御門」と謡われたのは、人吉市の青井阿蘇神社で、阿蘇系統の神社はほかにもあります。
 この地域には村の無形文化財の「千ヶ平虎踊り」があります。大正初期ごろ、牛で木材を引く運搬業者の谷山亀治がここに虎舞いを伝え、地域の人たちに13種目の踊りを指導したといわれています。この虎舞いの内容はこうです。「江戸時代に田舎侍が、化け物退治を依頼され、旅の途中に立ち寄った茶屋で田楽売りから易者を紹介される。易者は化け物が虎であると見破り、聖護院という高名な者に退治を頼むようにという。実は田楽売りと易者はぐるで、田舎侍が払ったお金で宴会をする。田舎侍はようやく見つけた聖護院に虎退治を頼み、どうにか虎は静まった」というものです。
 この虎舞いは、古屋敷小学校の屋根の吹き替えの落成式で披露されたのをきっかけに、祭りのときも落成式などで舞われるときも、必ず八幡神社に奉納してから「道行き」し、各戸を回って最後は神社に帰ったそうです。
 道行きの虎の後ろには、仮装した田楽売りなどの演者が続きます。田楽は阿蘇地方の郷土料理として知られますが、水上村でも昔から食され、市房神社のお祭りでは田楽小屋も設けられたそうです。また、神社が阿蘇神社であることから、阿蘇に似た虎舞いがあるのではないか、などと阿蘇とのつながりを想像してみるのも楽しいものです。
 今では、踊り手の減少とともに、数年前に伝統芸能を保存しようと催された披露の場で舞われて以来、舞われることがなくなっているのが残念です。

■よく似たムクノキとエノキ
 ムクノキは関東より西の温暖な地域に生え、山野で普通に見られる落葉高木です。枝は横に広がって繁茂し、成長が速くて神社の境内などでは大樹に育っている、または育ちつつある木をよく見かけます。ムクノキは、エノキとともに神の宿る木として大切にされることがあります。椋という字も木偏に京で、神の座になる木の意味で「くら」とも読みます。人の名前でも小椋と書いて「おぐら」と読みますし、京都の南にあった小椋池も有名です。
 ムクノキは、ムクエノキともいわれるように、エノキに似て樹皮が剥(む)ける木という意味の名前です。エノキは大木になっても樹皮が滑らかなままですが、ムクノキは大木になると、必ず縦の不規則な割れ目から樹皮が剥け落ちます。葉だけで比べるときには、葉脈に注意すると簡単に区別できます。中央に主脈があるのは同じですが、ムクノキは主脈から多数の側脈がほぼ平行に伸びて葉脈に達しています。それに対して、エノキは側脈の数が少なくて先端は葉脈を避けるような伸び方をします。
 もう一つの違いは、ムクノキの葉は触ると表面がざらざらしていることです。これは微細な剛毛が密生しているからで、トクサ(砥草の意で、大きなスギナのようなシダ植物)とともに、昔から器物の研磨に用いられました。現代のサンドペーパーと同じ使い方ですが、トクサに比べて目が細かいので、漆器や鼈甲(べっこう)や象牙などの細工物を細かく丁寧に磨き上げるのに重用されました。
 ムクノキの花は4月から5月に咲きます。しかし、目立たない花が木の高いところで咲きますから、気にかけて見ている人はまずないでしょう。果実は直径1センチメートルくらいで、秋に黒紫色に熟します。独特な甘味があって美味しいので、昔は子供たちが高い枝先まで登り、ちぎって食べる風景がどこでも見られました。まさに秋の「おやつ」を提供してくれる木だったのです。子供たちだけでなく、人家近くに棲む野鳥にとってもご馳走で、ムクノキに集まって実を食べるものの代表として、ムクドリという名の鳥もいるほどです。果実の中には固い種子が1個ずつ入っています。その果実をたくさん食べた鳥が広い範囲に糞と一緒に種子を撒き散らすので、山野で次々にムクノキが芽生えて大きく育ってくるのです。

■不土野(ふどの)峠を越えると古屋敷だった
 古屋敷の少し上流で球磨川本流の谷と分かれ、不土野峠に向かう道が、古くから椎葉と繋がっていた幹線道路です。椎葉は日向の国(宮崎県)ですが、古屋敷など熊本県側の集落と強く結びついていました。椎葉から海岸の日向市まで耳川が流れていますが、その川沿いの遠い道を往来するよりも、不土野峠か湯山峠を一つ越えるだけで古屋敷や湯山に着く道は、ずっと安全で手間のかからないルートだったのです。
 球磨盆地の西には、鎌倉時代から相良氏の城下町だった人吉があり、不知火海の海産物や、八代から熊本方面に広がる平野部や都市の産物、さらには京都など上方の品物や情報を運ぶルートが確立されていました。人吉から現在の水上村の岩野まではほぼ平坦ですし、そこから少し山に入った場所に古屋敷と湯山があります。椎葉の人たちは、ここで必要な物資を手に入れると同時に、椎葉の産物をここに運んで売りさばきました。つまり、椎葉など九州中央山地の集落は、自動車が通る大きな道路が開通するまでは、県境をこえた球磨郡と一体になった経済圏を作っていたのです。
 古屋敷や湯山の集落を見直してみると、峠に向いた方が玄関で、下手の球磨盆地に向いた方が勝手口であったことが見えてきます。昭和の始めごろまでの古屋敷は大変な賑わいで、30年代までは旅館が軒を連ねた景色が残っていました。

■球磨川水源と原生林
 不土野峠への道とは異なり、球磨川本流の谷は戦後の林業振興政策で道路が建設されるまでは、立ち入りが困難なところでした。しかし、現在は車道が谷の奥近くまで開通しているので、山の斜面から勢いよく水が噴出している「球磨川水源」まで、登山口から徒歩1時間半で行けるようになり、豊かな水と森の自然を満喫できます。
 また、この地域の原生林を全部伐採する計画で林道工事が進められたのですが、希少な動植物が生活する環境を守るために平成13年(2001)年から計画が再検討されました。水上村が中心になり、球磨川水源の水が流れる幸野溝(こうのみぞ)の恩恵を受ける上球磨(かみぐま)の町村の協力を得て天然林を購入し、公有化することで自然環境を守ることにしたのです。
 購入する山の面積もさることながら、予定されている工事を止めるのは大変なことです。紆余曲折がありましたが、平成18年に林野庁との協議の結果、林道工事は正式に中止となりました。林業を行うためには車の通る林道は必要ですが、林道をつくることで自然環境が守られなくなるなら、林業の振興もあり得ないのではないかという葛藤の中で下された決断でした。自然環境の保全が長い目でみて地域の発展につながった、一つの大きなプロジェクトだったといえます。このようにして水上村の山々は守られ、村の財産として観光資源の一つにもなっています。


© Kumamoto Midori Keikan Kyoudou Kikou. All Rights Reserved.