くまもと緑・景観協働機構
事業概要 各種助成事業 くまもと路樹・景観の紹介 老樹名木めぐり 花と緑の園芸相談 調査・研究 各種申請書 お問い合わせ Q&A(FQA)
  HOME > 老樹名木めぐり > 070下田の銀杏 > 070下田の銀杏(詳細)
  老樹名木詳細
 
下田の銀杏(しもだのいちょう)


■城南町の中心地に立つ、町のシンボル
 熊本市の南、約12キロメートルに城南町の中心である隈庄(くまのしょう)地区があります。ここは熊本市の場所が熊本県中央部の拠点となるはるか昔から、地域の中心として栄えていたところで、中世の隈庄城の城下だったところです。現在は国道226号が町の中心を避けてバイパスを通るようになりましたが、旧道沿いの町並みの中に、このイチョウの樹が佇んでいます。イチョウの巨樹というと、神社仏閣の境内か農山村の集落にある姿をイメージしますが、町の中にある個人住宅の庭にあった事実に驚かされます。
 堂々とした主幹の幹囲は9メートル、高さ1.5メートルほどのところから南北2本の幹に分かれていますが、南幹の幹囲が5.9メートル北幹の幹囲が6.4メートルもあり、それぞれの幹一つだけでも巨樹といえる大きさです。北の幹はさらに3本に分かれていて、その中の1本はコンクリートの支柱で支えられていますが、樹勢は盛んです。樹高は21メートルと高くそびえ、約15メートル四方に枝を張って複雑に絡み合ったように伸び、独特の雰囲気を醸し出しています。幹が2本に分かれていることから、眺める方向によって同じ樹とは思えないような造形の変化を見せてくれます。新緑の葉を茂らせた清々しさや夏の涼しい緑陰の豊かさも見事ですが、秋の黄葉の時期に自らが敷き詰めた黄色い絨毯の上に佇む美しい姿は、まさに町のシンボルです。

■イチョウの落葉のスイッチ
 この樹は雄株なので実はなりません。それで「ぎんなん」の実を収穫する楽しみはありませんが、落ちた実の臭気に悩まされずに黄葉をゆっくりと楽しむことができます。ところで、イチョウの落葉の仕方に、面白い現象があるのはご存知でしょうか。というのは、黄色く色づいたイチョウの葉は風に吹かれて散るというよりも、誰かがスイッチを入れるか切るかしたようにいっせいに散り始め、ひとしきり散るとスイッチを動かしたようにぴたっと落葉が止まるのです。観察するのに特別な道具が要るわけではありません。落葉が止まっている状態のときに観察を始め、一斉に散り始めるのをしばらく我慢して待つだけで確かめることができる現象ですから、お試し下さい。一人で観察するのが不安な人は、友人とイチョウの木の方を向いてオシャベリをしながら待てば、緊張感なしに楽に確認作業ができます。

■「下田の銀杏」の名の由来
 「下田の銀杏」という名称は、この樹が下田家の庭にあったことに由来します。国指定天然記念物の名称に個人名が使われるのは極めて異例のことですが、旧家の庭にあった樹で、下田家にあるイチョウの木と考えて誰も不思議に思わない状態が何百年も続く中で定着してきた名称なので、そのまま国の天然記念物の名称になったのでしょう。下田家は、隈庄から隣の宇土の町まで他人の土地を通らずに行くことができたといわれるほどの大地主でした。「下田家旧記」には天文年間(1532~1554)にこの樹が存在したことが記録されています。また、天正15年(1587)豊臣秀吉が九州征伐で隈庄城に滞在したとき、この樹を見物に訪れたとも伝えられています。
 この樹は下田家から城南町に寄贈され、町が管理しています。下田家の母屋は、かつてこの樹のそばにありましたが、樹勢に押されて昭和の初め頃に移転しました。今もなお北に延びる枝が勢力を伸ばし、以前移転した一軒の家までを廃屋にする勢いです。根元には高さ3メートルの石碑があり、その正面にはこの樹の来歴が記され、裏面には「世を重ね恵みに会いて栄えゆく 銀杏の末は千枝八千枝」と明治の初め頃の下田理平翁の和歌が刻まれています
 平成3年(1991)と11年(1999)の台風で相当痛めつけられましたが、幸い大枝は被害を免れて健在です。今も残る旧屋敷の門の場所を除いて周囲は新しく作られた金網の柵で囲まれ、この樹と生活を共にしてきた地元の人たちによってきれいに掃除されています。地元の隈庄小学校では毎年3年生が総合学習の時間を利用して、この樹について調べています。また、この樹の隣にある酒造メーカーでは、11月の黄葉の季節には酒の仕込みが始まるので、事前に連絡すると生産工程を見学することができます。
 この地域にはいろいろの文化遺跡があります。「下田の銀杏」の北300メートルの近い場所に中世の隈庄城跡があり、西へ約2キロメートルの木原山には弓の名人であった源為朝の矢を恐れて雁が避けて飛ぶようになったので願回山の名がついたと伝えられる木原城跡があります。木原城跡の東には阿高城跡があり、その集落に阿高貝塚があります。また、東500メートルのところには文永2年(1265年)、菊池武房創建による熊本県最古の禅寺「能仁寺(のうにんじ)」、南500メートルのところに縄文時代の貝塚「黒橋(くろばし)貝塚公園」、車で5分くらいのところに高速道路の建設方式を変更してまで保存し現在は公園整備されている国指定史跡の塚原古墳群と町立歴史民族資料館があります。


© Kumamoto Midori Keikan Kyoudou Kikou. All Rights Reserved.