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  老樹名木詳細
 
参勤交代道の桧(おにきざきのあこう)


■石畳を歩く旅人を温かく見守った大樹
 国道57号線をJR赤水駅を過ぎて300メートルほど北上し、斜めに交差する県道149号(河陰阿蘇線)を左折して1.5キロメートルほど、鉄道踏切を渡り黒川に架かる橋を渡って直進すると外輪山麓の的石(まといし)です。そこを左折して100メートルほど進むと的石御茶屋跡(小糸家)があります。そこから約2キロメートル進んだ右側に参勤交代道公園と駐車場があります。ここが、標高差250メートル、距離約2キロメートルの二重峠からの道が平坦な阿蘇谷に下りきった場所です。集落名が坂ノ下であることが素直に理解できます。
 この公園の横を通る石畳の道が、細川藩の参勤交代に使われた豊後街道です。この石畳の道を5分ほど登った右側に、この樹が堂々とした姿で立っています。地上1メートルくらいに大きな根が横に張り出し、足を踏ん張ったように構えています。まるで相撲の四股(しこ)を踏んでいるように見えます。根といえば普通は地中に潜っているものですが、この樹のように大きく露出して威張った形をしているのは珍しく、面白いことです。
 この樹の裏に回ると、十一面観音像を祀るお堂があり、すぐ近くに旅人が安全を祈願して手を合わせたであろうお地蔵様もあります。周辺には湧水を利用した茶屋のような施設があったと思われる遺構がいくつもあり、道から入った場所の石畳には「坂の下お客屋跡」の看板があり、「往時の旅人の休憩所の跡といわれる」と記されています。また、背負い荷物の上げ下ろしに使ったような形の石や、急な坂を登る前や降りた後に駕篭を置いたと思われる場所もあります。
 参勤交代は、江戸時代に大名が一年ごとに江戸と国元の生活を繰り返すように「武家諸法度(ぶけしょはっと)」に定められた制度です。そのため、大名は家臣を引き連れて江戸から国元へ、次の年は国元から江戸へと大名行列の旅をしなければなりませんでした。細川藩では多いときには1000人もの行列を組んだといいますから、その手間と経費は大変なものだったでしょう。しかし、そのおかげで上方と国元の往復交通だけでなく、沿道の活性化と全国各地との文物や情報の交流がうながされ、二百年続いた平和もあって江戸文化の成熟に貢献したことも忘れてはなりません。
 雄大な阿蘇の景色を一望する石畳の道を歩きながら、この樹に挨拶して国元に別れを告げ、江戸からの帰路には阿蘇の野の花に心を癒され喉(のど)を潤す山の水を求めながら、この樹をめがけて歩いたことでしょう。往時の賑わいを彷彿(ほうふつ)とさせる参勤交代の道に立ち続ける、歴史を語り伝える老樹です。


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