■地域の人々の生活の中心にあったケヤキの樹
ケヤキの樹の根元から豊かな水が湧き出ています。阿蘇の北外輪山一帯に降った雨が長い地下の旅をして、ここに湧き出しているのです。目の前の静川(しずかがわ)は筑後川の最上流部ですが、その川の中にも水が湧いているのが見えます。ここ宮原は小国町の中心地で、地元では「みやのはる」といいます。建磐竜命(たていわたつのみこと)が阿蘇の山頂から矢を放って落ちたところなので、御矢原(みやのはる)だといいます。宮原では、けやき水源から川をはさんで対岸にある宮原小学校近くの水源の豊富な湧水を上水道にしています。
この地域はケヤキがたくさん自生していたところで、大きなケヤキのあるところには必ずといってもいいくらい湧水があり、ケヤキは水をもたらすといわれてきました。この大欅のおかげで湧水は枯れることなく何百年にもわたって人々の生活を支えてきました。しかし、戦後の拡大造林や道路工事などで次々に失われ、これが巨樹としては最後の1本になってしまいました。
泉のほとりに生えるケヤキの幹は川岸から斜めに立ち上がり、大枝は川の一部を覆うように張って大きな緑陰を形成しています。斜めに立ち上がった根元から水が湧いているので、幹の一部は水面に浮いたように見えます。主幹の基部には空洞があり、樹肌にも大きなコブがあって年老いた感じはしますが、大きく枝を張り、春には輝くばかりに新緑の葉を繁らせます。樹の根元には水神様が祀られていて、この樹も水神様とともに地域の人々からとても大切にされています。
また、水神様はあらゆる幸運の神様で、毎日お参りしていた人が欅水源の夢を見て多くの人が戦死した激戦地から生還したとか、温泉を掘り当てたとか、さまざまな幸運の話が現在まで続いています。水神様は樹の根元に祀られているので、大雨などにより幾度となく流されましたが、そのたびに地域の人によって祀り直されます。
欅水源は地域の人々の生活の中心です。以前は朝ここで手や顔を清め、樹の下に祀られた水神様を拝み、近くの両神社に参拝してから朝ご飯を食べていました。食事が済むとここで食器を洗い、その下流で洗濯をしていました。現在では上水道が完備して食器洗いや洗濯の光景は見られなくなりましたが、早朝にここで手を清めて両神社にお参りする人が多くいます。
小国両神社は、正式名は宮原(みやのはる)両神社といいます。水と農業の神である高橋宮と火の神である火宮の二柱の神を祀っているので両神社の名がついたそうです。毎年10月16日~18日に行われる秋の大祭には、広く小国全体から多くの人が集まります。幸せを願って、神幸行列の神輿の下をくぐる習慣があります。
また、両神社は富くじの神様とも呼ばれ、文政元年(1818)から明治維新のころまで富くじの発行が行われていたそうです。その昔、この近くの商家・橋本順左衛門が毎日欅水源で身を清め、水神様と両神社に手を合わせお参りすることを続けていて富くじが当たりました。そこで順左衛門は水神様に感謝して、家並みの続く表通りから欅水源まで川石だらけの通り道に、町の人たちが歩きやすいようにと石畳を敷きました。それ以後この道は「富くじの道」と呼ばれるようになり、その一部は現在も残っています。
|