■北里家の歴史を見守り、柴三郎博士をはぐくんだ老樹
北里大社がある小国町北里は、日本が誇る世界的な医学者・北里柴三郎(1852-1931)の出身地です。北里柴三郎はドイツ留学中の明治22年(1889)、当時は不可能とされていた破傷風菌の培養に成功し、その菌が出す毒素によって発病することを発見して一躍世界的な科学者になった細菌学者です。また、その発見を基礎に感染症の血清療法を発見して、現代のわたしたちもその恩恵に浴している医学者です。日本に帰国してからは福沢諭吉の援助のもとに伝染病研究所を設立し、その主任として研究を進めるとともに、赤痢菌を発見した志賀潔や黄熱病の研究で有名な野口英世など多くの弟子を育てました。
北里柴三郎は日本の医学・医療を発展させる大きな中心となって活動し、交通不便な時代に故郷小国に帰る機会は少なかったのですが、郷土愛は非常に強く、大正5年(1916)には私財を投じて郷里の青少年のために図書館(北里文庫)を建設するなど地域の文化向上に努めました。この図書館を改修し、博士の遺品などを展示した「北里柴三郎記念館」は、その功績を今に伝えています。また、熊本県近代文化功労者の顕彰は昭和23年(1948)に始まった制度ですが、北里柴三郎は横井小楠(思想家)、野田寛(教育者)、友枝為城(能楽師)とともに第1回に顕彰されました。
柴三郎の生家(北里柴三郎記念館)から見て北里川の対岸に北里大社があります。嘉元2年(1304)出雲大社から勧請され、祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)です。秋の大祭は、毎年9月16日に行われ、2年前に復活した奉納相撲は熱気にあふれます。鳥居をくぐって数メートル進むと、昭和28年の大水害後に建て替えられた随神門(ずいじんもん)があり、狛犬が座っています。境内に入ると拝殿に向かって右手に、樹勢よく、豊かに葉を茂らせて、空に向かってまっすぐに高くそびえるケヤキの巨樹があります。ケヤキの周囲はちょっとした広場になっていますが、広場いっぱいに枝を広げています。ケヤキの老樹に見られるコブも小さいものがところどころにあるだけで、樹齢1000年の老樹にしては空洞もなく美しい姿で、若々しい力さえ感じさせます。
北里家の先祖は平安時代にこの地に移り住んだといわれ、阿蘇氏に仕え、石櫃城(いしびつじょう)を築きました。南の北里川と北の赤水川にはさまれ、谷は深くて湿地も広がる要害の地で、築城のときに石櫃が出土したのでこの名があります。天正15年(1587)に豊臣秀吉の九州征伐で落城、慶長5年(1600)の加藤清正による肥後統一後は、小国郷の総庄屋をつとめてきました。総庄屋の屋敷は北里大社の横にあったといわれ、屋敷の石垣などの遺構が今も残っています。明和元年(1764)5代目総庄屋から分家して、坂下屋敷と称したのが柴三郎の生家ですが、明治28年(1895)両親を東京に呼んだので、空き家になり、昭和40年(1965)の河川改修で、道をはさんだすぐ上の北里柴三郎記念館の敷地に移築されました。
北里大社は、石櫃城が築かれた時に現在の地に移されました。境内にあるこのケヤキは神社が移される前から、この地に根を下ろしていたことになります。腕白だったといわれる柴三郎も幼いころには、北里川やこの神社で元気よく遊びまわっていたのでしょう。1000年もの間この地の変遷を見てきたこのケヤキは、博士の成長をも見守っていたのでしょう。城跡近くに北里家の墓があり、博士もそこに眠っています。
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