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  老樹名木詳細
 
茂川の山梨(もがわのやまなし)


■伐採直前に注目され、生き残った樹
 民家の庭の隅にあるヤマナシの樹で、見事に大きく姿良く育っています。ソメイヨシノの開花よりも少し遅れて4月の初めに開花しますが、そのときには白い花が枝いっぱいに咲き、大きな樹全体が白い衣装をまとったようになります。自然豊かな雑木林に囲まれた家並みの中に、びっしりと白い花をつけた半円形に整ったヤマナシの頭が出ているので、迷うことなく樹に辿りつくことができます。以前から、その美しさに惹かれて訪れるアマチュア写真家はありましたが、知る人ぞ知るという程度にしか知られていない、埋もれた名木でした。
 地元の人たちは子どもの頃からその花を眺め、秋になると熟して落ちた実を拾って食べていました。昔は子どもたちだけではなく、大人にも秋のおやつを豊かに提供してくれる宝物のような樹でした。しかし、飽食の時代になって実を食べることがなくなると、たくさん落ちる実が迷惑にさえなってきました。また、台風のときに枝が落ちたり吹き倒されたりしたら大変との心配もあって、枝おろしか伐採が検討されました。しかし、これだけ大きなナシの木は見たことも聞いたこともないという意見が出て、一度専門家の意見を聞くことになったのです。

■日本一大きくて美しいナシの木
 市教育委員会からの紹介で、「くまもと巨樹の会」の人が現場を見に来て「ナシの木では、これまで京都清水寺のものが日本一と言われてきたが、それよりも大きくて花も美しい」と意見を言いました。その言葉に、見慣れた当たり前の風景と思い、この樹は存在していて当然としか考えていなかった地元の人たちが、その価値を改めて認識するようになりました。また、現場を見た巨樹の会の人からの情報で、この樹が「くまもと緑の財団」が平成18年に刊行した「くまもと老樹名木ガイド」(樹木111と花・森林20を紹介)に掲載されました。そして翌春には樹全体が真っ白になるように花を咲かせた姿が新聞で紹介されて一躍有名になりました。
 大切に保存する方向での検討の中で、樹の周囲を手入れすればまだ何百年も生きるとか、有名になって多くの人が訪れるようになると根元の踏み固めが心配だから通路や柵の設置もしなくてはとか、前向きの意見がいろいろと出てきたそうです。

■ヤマナシは和梨(日本梨)の先祖
 ヤマナシは本州・四国・九州の山野に広く分布する落葉高木です。しかし、古くから人家などに植栽されて来たので、本来の自生か人間が植えたものか、また、人間が植えたものから逸出して山野に生えたものか、判断に迷うことが多い植物です。花の時期に山道を歩いていて思いがけない場所で大木が花をいっぱい咲かせているのに驚いたり、以前は農家の庭先などの大きな木に真っ白な花が咲いている景色はよく見かけたものでした。
 我が国で古くから栽培されてきたナシは和梨(日本梨)といい、ヤマナシから改良されてきたものです。それに対して、中国北部を中心に分布するホクシヤマナシ(北支山梨の意)から改良されてきたものが中国梨で、果実が球形の中国梨と和梨を合わせて東洋梨とも言います。西洋梨はヨーロッパ中部・東南部・アジア西部のものから改良された全く別の栽培植物で、リンゴとともに有史以前から栽培されていた果樹です。果実は「西洋梨形」といわれる独特な形で芳香があり、果肉は軟らかくて東洋梨のようなざらつき感はありません。
 日本でもナシは最も古くから栽培された果樹といえます。「日本書紀」(720)には持統天皇がクワ・クリ・ナシの栽培を奨励したことが記録され、「延喜式」(927)にも甲斐国(山梨県)や信濃国(長野県)からナシが献上された記録がありますので、果樹の中で最も古くから栽培されていたと考えられています。最初は山野に自生するヤマナシの果実をちぎって食べたのが始まりで、有史以前の人間がまだ野生の動物と同じような生活をしていた頃からの行動でしょう。そして、その木を身近な場所で育てることをすれば、そこから栽培が始まったことになります。

■ナシは、古い時代から改良を重ねられてきた
 栽培していれば、別の場所に栽培されている株と較べて果実が大きいとか、美味だとかが気になるようになります。そのような良い株から種子や株分けをして育てることをすれば、少しずつ良い株が増えて品種改良が一歩ずつ進むことになります。とくにヤマナシの分布の中心だった中部地方や北陸地方で少しずつ果実が大きく美味になり、それが朝廷にも献上されたのでしょう。
 野生または野生に近いヤマナシは、果実は3センチメートルほどの球形ですが、果肉が固くてじゃりじゃりしています。酸味も強くて栽培ナシのように甘くはありません。「茂川の山梨」の果実は直径が7~8センチメートルあったそうですから、相当に改良が積み重ねられたものといえます。また、熟す前は固いのですが、霜が降りるころになると軟らかく、甘くなっていたそうです。

■大きな果実のババウッチャギナシ
 球磨郡錦町(にしきまち)本別府(もとんびゅう)には、県の天然記念物に昭和37年(1962)に指定されたババウッチャギナシというナシの老樹がありました。樹高18メートル、幹囲1.7メートルもある樹齢300年の古木で、果実は高さが10センチメートル、直径が8.5センチメートルほどもありました。改良が進み、最近では巨大なナシが出るようになったので、この大きさに驚く人はいなくなりましたが、昔は驚くべき大きさでした。昭和4年(1929)、当時人吉高等女学校(現在の人吉高校)教諭だった前原勘次郎氏が枝葉と果実を採集し、翌年採集した花の標本とセットにして京都大学の小泉源一博士に送り、鑑定を乞いました。博士はこれを新種と認め、Pyrus babauttiagi Koizumiと学名をつけ、和名ババウッチャギナシとして発表しました。残念なことに平成3年(1991)の台風19号で太い幹が欠損して、木のおよそ半分を失う大きな被害を受けました。養生に努め、平成4、5年には芽立ちや葉の茂りも良好で結実しましたが、平成6年の厳しい干ばつで葉がちぢれ、幹や根元に亀裂を生じ、翌年春の萌芽は認められませんでした。灌水や根元の養生などに努めましたが、平成7年(1995)10月11日に枯死が確認されました。しかし、「ひこばえ」から育てた株が残っているので、母樹と全く同じDNAの植物が生き続けていることになります。
 和名のババウッチャギナシは、現地で呼ばれていた名をそのまま採用したものです。落果したら下にいる老婆の頭を打ちひしぐ大きな果実がなるという、おどけた意味の球磨弁の名称が、そのまま学問的な正式名称になったものです。
 ババウッチャギナシはとくに果実が大きいので有名になりましたが、このように長年かけて改良されてきたナシは各地にあり、石梨と呼ばれる野生に近いヤマナシと区別して地梨とか霜梨とか呼ばれ、それぞれ大切にされてきました。そのような日本古来のものが、より甘く、より軟らかくと急激に品種改良が進む中で時代遅れと思われ、次々に失われてきたのは残念なことです。その意味からも「茂川の山梨」が地元の合意の下に保存する方向が定まったことは重要で、さらに市の天然記念物指定に向けての動きまであるのは素晴らしいことです。
 この樹の価値を意識して考えるようになって、すぐ近くに幹囲1.85メートルのサザンカがあることも改めて意識され、二つとも地域の宝とみる気運が高まっています。また、この樹の話題が広がる中で同じ水俣市の大川地区にも同じようなヤマナシがあること、また、薄原(すすばる)地区にはケンポナシの大木があることが明らかになり、それも調査しようという動きが出てきています。


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