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  老樹名木詳細
 
将軍神社の楊梅(しょうぐんじんじゃのやまもも)


■長く日羅将軍に仕え続ける樹
 将軍神社は海を望む小高い丘の上にあるこじんまりとした神社で、地域の人々に大切にされています。境内の海側の縁には多くの木が茂っていますが、その中で拝殿の横にご神木のヤマモモの大樹が堂々とした構えで立っています。主幹が折れて樹高が低くなっていますが、それを補うように四方に大きく枝を広げて豊かに茂っています。
 将軍神社の「将軍」とは、6世紀に葦北地方を統治していた火葦北国造(ひのあしきたくにのみやつこ)阿利斯登(ありしと)の子の日羅(にちら)のことで、後に百済(くだら)政府の高官になって日羅(にちら)将軍とも呼ばれた人です。日本書紀で敏達(びだつ)天皇の時代を記録した敏達紀も「阿利斯登の子達率(だちそつ)日羅、賢くして勇あり」と、その横顔を伝えています。
 6世紀半ば頃の朝鮮半島は、北部は高句麗(こうくり)が支配し、南部は任那(みまな)をはさんで百済(くだら)と新羅(しらぎ)が対立していました。宜化(せんか)天皇2年(537)に父阿利斯登が新羅に攻められた任那を助けるため百済に使わされたとき、日羅もともに百済に渡り、そこで成長しました。その後、百済の王に仕えましたが達率という高い官職を与えられるほど、百済の発展や安定に大きな功績を残しました。
 敏達天皇12年(583)に、敏達天皇の要請を受けて日羅将軍は日本に帰国し、天皇から新羅への対策と任那復興について意見を求められました。それに対して、国民の生活安定・外交政策の重要性、富国強兵の必要性が基礎であると指摘し、具体的な内容までも進言しました。ところが、百済を滅ぼすことを日本の朝廷に献策しているのではないかと、百済から同伴してきた役人に疑われ、裏切り者として同年12月に暗殺されてしまいました。しかし、日羅将軍が行った進言は、後に推古天皇の「冠位十二階の制」、聖徳太子の「十七条の憲法」、孝徳天皇の「大化の改新」などの成果となって実現されました。

■故郷の芦北に眠る日羅将軍
 日羅将軍の遺体は詔勅(しょうちょく)によって難波の西のほとりの丘(現大阪市北区)に葬られました。翌年、遺体は故郷の芦北に運ばれ、その船が着いたといわれる海岸が「だげく塚」と呼ばれる、現在の津奈木町福浜の赤崎あたりです。ここから山の上にある将軍神社までは歩いて15分ほどです。
 将軍神社の創建などは不明ですが、日羅将軍を祭神とし、お堂に安置された日羅像には、弘化2年(1845)仏師宮地勘十郎孝之の銘があります。地域の人たちからは「将軍さん」と呼ばれ、慕われています。毎年11月3日に「将軍さんの祭り」が開かれます。自分の年齢だけお堂の周りを回ってお参りしてその年の無病息災を祈ります。
 また、日羅将軍の墓は、現在の八代市坂本町百済来(くだらぎ)にあります。その場所には百済来地蔵堂が建立され、木造座像の本尊延命地蔵菩薩は敏達天皇元年(572)、日羅将軍が百済から父に贈ったものと伝えられています。地蔵堂は今も地元の人たちによって大事に守られています。

■暖地の植物ヤマモモ
 ヤマモモは関東南部と福井県以西の低山丘陵に自生し、沖縄・台湾・中国南部にも分布する常緑高木で、県内でも温暖な沿海地に多くみられます。山にごく普通に見られるので雑木扱いされますが、手間を掛けなくても自然に形が整って丸みのある落ち着いた樹形になるので、庭木や公園木としてもよく使われています。しかし、暖地の植物ですから内陸の少し標高の高い場所ではうまく育ちません。
 雌雄異種で花は3月から4月に咲きますが、花弁も咢(がく)もない地味な花です。雌花は1個の雌しべが緑色の包葉に包まれただけです。それが数珠繋ぎになった1センチメートルほどの花穂になっていますが、全く目立ちません。雄花も数本の雄しべが包葉に包まれただけの花ですが、それが並んだ褐色の花穂が2~4センチメートルに伸びて花粉を飛ばすので、注意していれば花の咲いているのがわかります。果実は一つの花穂に1~3個着き、直径1.5~2センチメートルの球形になります。6~7月に暗赤色に熟しますが、表面には赤いビーズを一面に並べたようにつややかな粒状突起が密生しています。しかし、将軍神社のヤマモモは雄なので、実はなりません。

■里山の初夏の味、ヤマモモの果実
 果実は内部が堅い核果ですが、果肉は多汁質で甘酸っぱい独特の味で美味しく、山で食べた味は長く記憶に残るものでした。以前は、「南国に育った人ならば初夏の味としてヤマモモ独特の風味を思い出すに違いない」といわれたほど、子どもたちはみな身近な里山でヤマモモの果実をたっぷり食べていました。それだけに南国を描いた文学作品や記録などにも季節の話題として登場します。徳島県では「県の木」に指定されています。また、野生のものから品種改良も行われ、果実の大小や色などの違いによって多くの品種に区別され、白い実のものはシロモモと呼ばれています。生食以外にも塩漬け・砂糖漬け・ジャム・ゼリー・果実酒にするなどの利用があります。
 樹皮は楊梅皮(ようばいひ)と呼ばれる漢方薬で、下痢や打撲傷に用います。民間では皮膚病や利尿に効くといわれており、殺虫剤や解毒剤にも用いられました。樹皮を煮出した液はタンニンを多く含むので漁網を染めて丈夫にするなどの使い方もありました。
 ヤマモモの根には根粒菌が共生していて、痩せ地でも良く育つ植物として知られています。根粒菌がマメ科の植物と共生してることは教科書に載っていて誰でも知っていますが、ヤマモモも根粒菌に光合成で作った栄養分を提供し、根粒菌から空気中から取り込んだ窒素をもらう共生をしているのです。その性質を利用して、普通の植物が生えにくい荒れ地の緑化のために植栽されることもあります。


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